https://twitter.com/kitsuchitsuchi/status/953247812145172481

 

返信先: さん、さん、他

仏教思想のゼロ~は前掲書の詳細版。 『スッタニパータ』に 「世界(loka)における諸々の煩悩の流れを堰き止めるものは気づき(sati)である。この煩悩の流れの防御は私は説く。その流れは智慧(panna)によって塞がれるであろう」と説かれている。 気づき=現状に気づき、自覚的であること。

 

仏教というのは「思考(欲)が現実化する」を前提に書かれている。

なので、自分の住む世の中の現象を変えたいならば、一旦、欲望を「観察する」だけにとどめておくこと。そこに至ると、初めて違った世界が見えるようになる。

われわれにとって、この世の全てが幻のように儚いものかもしれないが、その幻こそが全てである。

仮諦というのは、「自我は可変である」というポジティブな意味が出てくる。

仏教というのは、お釈迦様を信じて拠り所としなければ成立しない。(つまり、仏教は単なる人生訓や瞑想テクニックではない。)

「知恵者らよ、自性が空という空性の意味は、縁起の意味である。しかし、効用が空(効果的作用がない)という、非存在の意味ではない。」