自殺すると罰を与えられるのかどうか? - 神秘・占星術

(抜粋)

誰が悲しい死を遂げた人の死体を嗤いながら踏みにじることができるだろう? 
そんな、人間の本能に逆らった残虐な行いができるのは、頭のおかしいカルト宗教の信者だけ。
そんな異常な宗教に汚染されて、自殺した人の死体を踏みにじったり、その人の家族を迫害するような行いだけはしないで欲しい。
そのような非人道的な行いこそ地獄行き決定だ。

(中略)

キリスト教徒やイスラム教徒の中にも、残虐な行いに手を染めず、奉仕の精神で善行に生きる人はいるだろう。
同じ宗教に入っていても受け取り手の意識で信じる教義は変わってくる。
結局は、どんな環境に生まれたとしても魂の本能に従うかどうかが問われている。

(抜粋、終わり)

 

私は上記の「頭のおかしいカルト宗教」の中に、「唯物論」も含まれていると思います。ちなみに唯物論者は死後に自分の不信仰を後悔する人が後を絶ちません。

唯物論なんかに比べたら、まだ神(もしくは高次霊)の声を聞こうとするキリスト教の方がマシだと思います。)

 

唯物論は科学の皮を被っているようですが、本来は理屈で成り立たない宗教です。

・無から有は生まれない(全ての物質は循環物である)

・無から有が生まれて世界が誕生した

∴上記の二つは矛盾する

ビッグバンがあろうがなかろうが、無から有が生まれることは物理的にありえないです。

もしそれが出来てしまえば無の空間には無限に物質を生み出せることになってしまいます。

そんなことはありえないです。つまり、無から有は生じない。

なのに、この世は最初から誕生している。

ということは、「この世は夢か幻」ではないだろうか、となるわけです。

 

犯罪の責任は「魄(肉体)」に押し付けられるのか? - 神秘・占星術

(抜粋)

私が未だに忘れられないのは、モーゼス『霊訓』を読んでいるときに
「悪の魂なんて本当にいるのか?」
と問いかけた瞬間
「本当だ」
と応えるかのように白い羽が落ちてきて、アゲハ蝶が飛んだ出来事です。参考
どうやら肉体の質に関わらず、悪しき魂は存在するようです。

(中略)

ニュートン 人生で他人を傷つけるという欠陥がある人間に宿った魂には責任が生じるのですか。 
被験者 生じます。人生で他人に残酷な仕打ちをした人たちのことですね。そういった魂の一人を知っていますよ。 

(抜粋、終わり)

 

価値観の大逆転。真理を信じる者だけが救われる - 神秘・占星術

(抜粋)

何しろ、輪廻転生と因果応報が当たり前に信じられていたかつての日本でさえ、犯罪者はたくさんいたわけです。
「お天道(てんと)様が見ている」
などと幼い頃から頭に叩き込まれてきたのに、人間は欲望に敗けて悪いことをする生き物ですから。

(中略)

テレビ番組を監視しているBPOは、『デスノート』で死後の魂が云々という話をカットさせて創作の大切な理念を葬り去る。
ネットで「死後は無ではない」と書く者は寄ってたかって罵倒され、吊し上げられる。

こんな世の中では犯罪者の天下です。
思想哲学や道徳の予備知識がないために、悪徳カルト宗教の天下ともなります。

やりたい放題に生きたい人々や、自殺したい人々は反対意見の人を殺してでも「死後は無」という思想を守ると思います。
それはそうでしょう。
欲望を満たしたい人間にとって、「死後は無」という思想ほど甘美な妄想はないからです。
きっと19世紀以降の唯物思想は多くの人を惹きつけたはずです。
いったんその甘い妄想を手に入れた人たちは、決して手放したくないと思った。
だから「死後は無」という思想以外が徹底的に迫害されたのだと思います。

(中略)

スピリチュアリズムの人たちは因果律について“神”などと人格化した言葉を使うので誤解してしまいがちだが、運命とは、人格のない宇宙システムに過ぎない。
だからこそ冷酷です。
真理とはどこまでも冷たくシステマティックなものです。

(抜粋、終わり)

 

最後の段落で、誤解を生むかもしれないのでちょっと。

「真理とはどこまでも冷たくシステマティックなもの」と書かれていますが、吉野さんは別の記事にて「カルマの法則」と書いています。

このカルマというのは人間には不可知の高度な理論だとのこと。

ゆえに、悪い事が起きたら受け入れるばかりでなく、「悪い事が起きたら逃げなさい。逃げるという勇気を持つこともカルマを閉じる一つの契機です」と言っています。

ちなみに、吉野さん曰く、悪事を働いた者はあの世で後悔しても(死後は自分と同じ階層の魂しかいないので、どんな魂もだいたいは生前の悪事や不信仰を後悔する)また転生して悪事を働いてしまい、それがあまりに続くと高次霊たちによって「魂の解体」をさせられ、実質的な死を迎えるそうです。これが本当の天罰だそうです。