美味しいコーヒーの店を見つけるための条件

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「美味しいコーヒーの店を見つけるための条件」について。

 

 

今日、大学の後輩の〇〇君を、白金台のクロミミラパンに連れて行ったら感動してくれたので、書いておきます。
 
良いコーヒー屋を見つけるための条件で一番大事なのは、「お客さんの民度が高いかどうか」です。
 
民度というのは、そこの人々の平均的な精神性のこと。
まず、気になる場所に行き、その町の人々を見ます。
そして、そこの人々が日本人らしい矜持(きょうじ)を持っており、人当たりが良く謙虚で上品かどうかを見ます。
彼女連れで他人を見下す「偽リア充」は、本質的に自分中心主義であり、他人から見た立ち位置という「つまらないもの」で自分を保っています。
そういう人は、自らの仕事でお客さんのために技術上昇の努力をする喜びを知りません。
また、そういう人は色んなことに興味を持っていたとしても、やはり一つ一つがどこか薄っぺらいです。
そもそも私は、性欲や承認欲求などの本能的欲求を「超えた所」に、涅槃の境地には至らずともそれに近づく、いわゆる「芸術」や「愛」の感性というものがあると感じております。
よって、
民度が低ければ、必然的に町全体の技術力も低い」
というのが大凡当てはまります。
だからこそ、その逆を行けば良いのです。
 
また、店主が自分のコーヒーを「良いもの」だと評価するとき、論理的な裏付けがあるかどうかも大事ですね。
良いものを説明するとき、全てが論理的に説明がつくわけではありません。
最終的には店主の感性の問題になります。
ただし、それは一定以上の技術からの話です。
基本的なことは全てマスターして、初めて感性で差をつける話に行きつくわけです。
パブロ・ピカソが写実画をマスターして、それでもなおキュビスムシュルレアリスムに傾倒していった経緯と同じで、基礎がしっかりしていなければそもそもシュルレアリスムのような高等哲学の絵画を創作すること、いや、それに感動することさえ、中途半端になってしまうのです。
それと同じで、基礎的なことはどの角度から突っ込んでも論理的に答えられるかどうかが問題となります。
 
最後に、「自分自身が高等な技術や知識を持つ人間になること」です。
人はある程度、「自分と同じような人間に惹かれ合う・導かれる」という不思議な性質を持っていると思います。
自分の知識・技術力・地頭力が上がるにつれて、今まで周りにいた人たちが離れていき、新しい人脈が増えていく、というのを経験したことがあるのです。
本当に美味しいコーヒーを飲んでも、そのレベルの人でないと良さが理解できないのと一緒です。
常識と違うことを言ったとしても、周りの人はあまりに知識量が違いすぎて、そもそも理解されないのです。
よって、自分がそういうレベルの高い人間になれば、そういう人を嗅ぎ分けることができるようになる、というのが持論です。