https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190320/k10011855071000.html

取手市いじめ自殺事件について。

不幸な事件に変わりないが、今回は文科省と調査委員会の対応が良かったため、よくもまあ、こういう世の中になったなと思う。

もみ消されることに比べたら、だいぶマシな時代になった。

今の時代、教委も何か不都合千万なことをやれば、ネットに実名を晒されるだろう。

その際、待っているのは、われわれ一般市民による吊るし上げだ。

今後、更にそういった勧善懲悪の時代がやってくるだろうと、期待している。

江戸時代にやりたかったことが、本当の意味で、今になって実現してきている。

徐々にその傾向が強くなって来ている気がするのだ。

 

さて、このブログを初めて見る人のために、また同じことを書いておく。

全ての人間は、死後に「人生で自分のやってきたこと」を高次霊に問われる。

(これは恐らく本当。知り合いに胎内記憶を持つ当時小学生の子がいて、神様とどんな人生にするか生まれる前に決めてきたという。)

そして、その人生でやって来たことが報いと罪のカルマになり、死後にその魂の霊格となる。

(この説はまだ本当かどうかは定かではないが、カルマの件は恐らく本当。前世記憶を持つ吉野圭さんが、今世と照らし合わせたカルマの実体験を記している。)

霊格の高い魂から低い魂へとテレパシーを送ることはできても、低い方から高い方へは物理的にコンタクトを取ることができないとされる。

人生になぜ不幸があるのかというと、他者が意図的に悪さをしたのでなければ、それは過去世のカルマである場合と、もう一つは、敢えてそういう人生を選んだ高潔な魂である場合だ。

また、人生において、悪さをしそうな人の周りに配置されることも同じことで、自らの高潔さを頑丈にするためと、もう一つは、高次霊がその周りの人間を「試験」するためにいる。

もしあなたが、いじめっ子ばかりの環境に生まれた・出会ったとしたら、その周りの人間の霊格を決めるための「リトマス試験紙」のようなものとして選ばれたということであり、あなたは周りよりも高潔で少しレベルの高い魂だということになり、魂的には優等生であり、もしかするとあなたは次の高次霊候補かもしれない、ということになる。

(しかも、そういう人生を自分で決めている。)

 

 

あなたが、死後もし高次霊に選ばれたなら、今度は対象の人を見守り、必要とあれば直感を送ってあげよう。

きっと死後にはそんな感じの仕事が待っているはずだ。

だから、現世にて簡単に死んではならない。

http://jstnamiwn.nobody.jp/sono4.html#sono4_sukuware

(引用)

 ここで少し付け加えておくことがあります。一つ目は、もし誰かを(いじめ等で)自殺させるほどにまで追い込んだ者は、その自殺者よりもさらに大きな罪を背負い込むことになるということです。これは当然で、事実上の殺人行為だからです。さらに自殺サイトや掲示板などで安易に自殺を推奨したり、その方法を教えたりした者もいずれその責任を取らされることになります。私たちはそれが善きにつけ悪しきにつけ、自分の行為には責任を取らねばならないのです。誰かに知られていなければ何をしても良いという考えは通用しません。私たちは誰もが霊的法則(因果律・カルマの法則)の影響下にあり、すべての思想も行為もそれに見透かされているからです。人間の作った法律とは違い、霊的法則をごまかすことは絶対にできません。 

(引用、終わり)

 

江戸時代には仇討ちの制度が存在した。

もちろん、昔の日本の社会がもっと悪かったということは白黒の日本映画を見ればだいたい分かることだが、ただ、思うに江戸の政治家は、本当の意味での勧善懲悪と仁義の世の中を作りたかったのではないだろうか。

そして、昔の日本人はこのカルマの法則と輪廻転生、人生は「魂にとっての学びの場」ということを、仏教や日本神話を通じてよく知っていたと思う。

それは諺に表れている。

「情けは人のためならず」→人に情を掛けることは、自分のためにもなる。

「因果応報」

人生、悪い事はできない。