↓やっぱこの絵にした。壁紙。
タルシラ・ド・アマラル「月(A Lua)」。
↓元のサイト。
https://www.moma.org/magazine/articles/42
なんかこの人の絵、あんまり才能を感じないから、また壁紙を変えるかもしれない。
目の覚めるような素晴らしい絵、心のど真ん中ストライクに来る絵って、なかなか見つからないね。
ちなみにタルシラ・ド・アマラルは女性。
ブラジルからパリに渡り、作曲家のエリック・サティとも交流があった。
夫はオズワルド・ヂ・アンドラージという、食人主義を書く作家。(後に離婚。)
食人主義というのは、人を食べるという意味だけでなく、当時の「搾取者を食う立場になれ」や、「他の文化を共食いする」という意味もあったらしい。
ただ、酷い言い方だなとは思う。
新しいことをやろうとしたのは伝わってくるが、食人する原住民族が世界には居るらしいから、旧時代に原点回帰して「民族的」な思想を持ったのかもしれない。
まるでアステカの太陽が食人していたみたいな発想だ。
まるでフリージャズが民族的になっていった経緯みたいだ。
どのみち、この人がやらなくてもいつか誰かがやるだろう、ということは分かった。
そして、タルシラはそんなに絵が上手いとは思わない。
俗に云う、ヘタウマってやつだ。
その絵自体には不思議な魅力があるなとは思うけど、上手いかどうかと言われるとちょっとセンスに欠ける。
ただ、この食人という発想自体が芸術家の視野を広げることに使われた、というのはある。
一つ前の記事に載せた「アバポル」は、下記のような意味もあるのでここに追記しておく。
この食人人間(アバポル)は、「無礼」で「セックスレス」で「年齢のない」人間だそう。
少し慣れてきたけども、やっぱりアバポルは怖い。
(引用)
絵画
タルシラはこの絵の主題を「巨大な孤独な姿、巨大な足、緑の平野に座っている、手が羽毛のように小さい頭を支えている。前に不条理な花で爆発するサボテン」と述べた。 [3]この「巨大な」姿は、実際には人間です。 解剖学が歪められている、無礼な、服を脱いで、セックスレスで、年齢のない人間。 絵の一番下の大きな足と手から始めて、その姿はゆっくりと上に向かって小さな頭に縮小します。
絵の背景は自然な設定を示唆しています。 ここでは、地球は対象が座っている単純な小さな緑の塚として描かれています。 植生は、図の右側にあるサボテンと、黄金色の太陽または花で構成されています。 空は淡い青白い背景です。
Abaporuのスタイルは、1924年にパリでTarsilaを教えたフランスのモダニスト、特にFernandLégerにまで遡ることができます。しかし、 スペインの シュルレアリスト 、 Pablo PicassoとJoanMiróにも同様の絵が描かれています。 1924年に特大の足の数字。