私の大学時代の同級生について調べたら、どうもフルクサスやスペクトル学派が好きみたいだ。

そうかそうか、それは構わないが。

どうも私とは根本的に芸術性が合わないらしい。

せっかく、私のようにシュルレアリスムやフリージャズなどの抽象芸術が好きな友達が出来ると思ったのに。

そこら辺、抽象芸術好きも難しいんだよな。


ちなみに、私は現代音楽は好きだ。

正確に言うと、「好きなものもある」というレベルに好き。

ただ私は、その友達が研究しているスペクトル学派の音楽については無知。

いや、無知というか、トリスタン・ミュライユなどの作品がそこまで心に響かないから、記憶に残らないだけ。

「トリスタン・ミュライユと自然」を今スマホで(WAV.ファイルで)聴いているが、今の私には大して心に響かないなぁ。

演奏者もさほど悪くないはずなのに。

現代音楽を聴きまくる「積み重ね」を経ると好きになるのかなぁ?

でも、シノーポリシェーンベルクは好きなのに、なぜだろう。

何か、「理論が神※を殺している」感じだ。

(※自然の姿、芸術性などの複合要素)

芸術は「理論が神を生かす」のが本来なはず。