いくつか前の記事と、Facebook記事にて、フルクサスとネオダダをディスりましたが、別にフルクサスやネオダダが好きでそれに沈潜している人は、それでいいと思いますよ。

むしろ、そこら辺は私の知らない部分なので。

ただ、今のところ「芸術的に浅いな」と感じるのは、私の正直な思いです。

ナム・ジュン・パイクのピアノがYoutubeにありましたが、あれは音楽ではなく美術の作品だと思います。

それを音楽として聴いてしまうと、

「何もあんな派手な装飾をしなくても、プリペアドピアノのように音を変えたい部分だけを細工し奏すればいいじゃないか?」、

「普通の現代音楽としてはやや劣るから、装飾でカバーしているんじゃないの?」、

とか思ってしまいます。

 

それと、私が好きになりそうなスペクトル楽派の音楽ですが、あれに慣れてしまうとなんだかエヴァン・パーカーのフリージャズが騒がしく感じるようになりました。

ジャズって「麻薬」だったんだなと、我に返ることができましたねw

 

ってことで、フルクサスやスペクトル楽派を研究している大学時代の同級生たちよ。

あなた方ならこれら有名人を超えられるよ。

私はといえば、今は仕事の片手間にフランス文学を読んでいるレベル。

オルダス・ハクスリー「知覚の扉」→サルトル「嘔吐」

と読んで、主人公ロカンタンの「実存酔い」が、ハクスリーのメスカリン体験(芸術家は常にその統合失調的な状態を維持できる)にちょっと性質が似ているなと思っている。

この順番で読まなければ、嘔吐は難しかったと思う。

で、今は「フランシス・ポンジュ詩集」を読んでいる。

日仏会館で出会ったジャック・デリダ「シニェポンジュ」を理解したいからというのもあって。

また、シェリーの詩集にはあまり心が動かなかったから、ガストン・ヴァシュラールの「空と夢」は積読になっている。

つまり、私はこの程度だっていうこと。