最近、某ドイツ製一級製品の復元修理を終えたので暇が出来た。

そんな中、デリダ「シニェポンジュ」を読んでいて、最初の段階でちょっと…

分かるような、分からないような事態に出くわした。

やばい、ジャック・デリダ、嫌いだなぁ。

デリダはまだこの本しか知らないけど、これがずっと続くのかと思うと…時間の無駄。

なんか、この本を借りるかどうか迷っていた時に易占いをやって、天風こうが出て、「魅力があるけど近づくな」という結果だったんだが、結局はその通りになったな。

易占いって、最初に占った通りになるんだな。

なかなか面白い本って出会わないんだよなぁ。

というわけで、ブルトンシュルレアリスム宣言・溶ける魚」の方が面白そうだったので、途中で鞍替えした。


ちなみに今読んでいたシニェポンジュの下記↓はこの本のメインの話ではなく、余談みたいなもの。


幸福に生きる理由について。

喜びの感覚を思い出せば、新鮮な気持ちになれる。

→だけどそれは不可能。しかも最終段階。

その喜びを思い出せる「物事」は、自分に(喜びの)要求か命令を与える。

しかもその要求は理不尽で満たしえない。

それが「物事」の法みたいなものだ。

「その法の命令は、主体の命令ではない。なぜならその主体は語ることがないのだから。」←という、自己完結的な皮肉w

そしてこれが、フランシス・ポンジュという名前が表すものを考える時の「法」となっている、とのこと。