今日、大学時代の友達と会った。

やっぱり彼は頭がキレるし、常識人だ。

そして、大学時代の先生の話になった。

どうも、現代音楽(無調音楽)を作曲する先生たちは、普通の調性音楽を作曲できないらしい。

そして、調性音楽を作曲する先生たちは、現代音楽を作曲できないらしい。

学歴が大学院を出ていても、そうらしい。

ダメじゃん。

これだから音楽業界は衰退するんだよ。

 

調性音楽も現代音楽も、どちらにも美しいと感じる作品はあるはずだ。

それを「私は現代音楽専門だから、調性音楽はできない」、「私は調性音楽しか作らないから、現代音楽なんてただの雑音だ」などと言ってしまえるのは、大学教授として片手落ちだと思う。

しかもそんなことを公で発言したら、次からそれをコンティニューさせなきゃならなくなる。

つまり、「現代音楽はただの雑音だ」と批判してしまった以上は、次からは現代音楽を良く言ってはならないという空気を作り、こうして自らのプライドを守るために無駄なことを色々取り繕わなくてはならなくなる。

そうなるぐらいだったら、恥を捨てて前言撤回すべき。

そうしなければ成長しなくなる。

脆いガラスのプライドばかりが肥大化する。

 

シェーンベルクは、初期は調性音楽、中期以降は現代音楽を書いている。

これを見れば分かるように、調性音楽の延長上に現代音楽が位置するのが好ましいと思う。

(ジャンルを問わず)良い作品を見極める目がないなら、もっと修行しろって話。