(吉野圭さんに送るかどうか迷っている送ったメッセージ↓)

 

 

お疲れ様です。○○です。

今回はちょっと難しい話をしますので、時間がある時に読んでみて頂きたいです。
しかし、魂的には重要事項だと思います。
前から訊こうと思っていたことです。

 

まずは、私と吉野さんの信条の違いをまとめました↓
http://le-chat-noir-1207.hatenablog.com/entry/2020/06/05/234642
(これは後で読んでもらっても構いません。次に述べることとは切り離されているからです。)

 


そして、もう一つ信条の違いがあります。
それは、「人生の計画は、自分で決めて生まれてくる」というもの。

 

私の説だと、人生の計画を自分で決められる範囲が大きいのは、吉野さんのような「魂的に優等生な人」だけの特権であり、他の大勢の人たちはみな自分の作ったカルマに苦しんでいるはずだと思っています。
つまり、悪のカルマだけは強制であると。
なぜなら、人生を自分で決めて生まれて来られるなら、皆幸せになっているはずだからです。

 

ただこれは単なる一説であって、私も吉野さんの説は可能性として考えていますので、自分の説だけを頑なに信じているわけではありません。

私の人生を例にとってみると、「あの時、直感に従っておけば良かった」という後悔がありました(今は全然後悔していませんが)。
私のブログで述べたように、8年間片思いした人とは未来透視というオカルト現象まで起きているので、あの時、唯物論を信じずに、直感に従ってさえいれば、あの人と恋愛や結婚が出来たのではないだろうかと思うこともあります。
そういうソウルメイト的なものは、失恋するということまでが人生計画に組み込まれているのか、もしくはお互いが過ちを犯して恋愛するはずだった未来を打ち消してしまったのか、そこら辺が謎なのです。
後者の場合でも、「人生は自分で計画を立てて生まれてくる」というのが成り立ちます。
つまり、「計画を自分で立てても、計画通りに行かないことが多くある」という説です。
しかしその説も、可能性の一つに過ぎません。

 

ただ、自分で計画を立てて生まれてくるにしては、残虐行為をしでかす人たちは魂的に幼稚すぎます。
そんな人たちが、「魂の勉強のためにこういう不幸を自分に課す」なんてことが考えらえるでしょうか?
誰だって、不幸はあるのに。
勝ち組になりたい残虐者が自分で人生を決めたなら、必ずずっと勝ち組の人生を決めると思うからです。
そんなわけで私は、罪のカルマは強制だと思っています。
で、残虐な人たちの何割かは、地獄(残虐な者同士が学び合うための、一つ下の階層の世)に落ちているんだと思います。
それと、地獄よりも下の階層があるのかどうかは恐らく人間では知覚できませんが、なければ魂の解体、つまりは処刑されているものと思われます。
なぜ処刑があるのかというと、魂も要らなくなれば捨てなければなりません。
モーゼスは「高次霊によって解体(処刑)される」と言いますが、「神によって解体される」の方が正しいと思います。
悪い魂だけがどんどん溜まっていくような「無限に増え続ける」現象など、世の中に一つもないからです。


以上です。