草原(ステーピ)――ボリス・Л・パステルナーク「わが妹人生―1917年夏」より

結局、パステルナークの作品は意味が解らなかった。

何となぁく、解ったような気になるが、解っていない。

解らないまんま、図書館への返却期限が来てしまった。

これを読んで意味が分からないと思う方がもしいたら言うが、どうせ皆意味分からないから安心して欲しい。

解説書、求む。

(というか、解説ぐらい本に書いとけっていう話。)

 

下記の詩にて、

ステーピ(степь)とはステップ、つまり草原のこと。

ケルチとは、ケルチ海峡のあるロシア(クリミヤ半島)の地名。

はねがや草とは、羽茅の類のこと。

ブリヤン草は、照り輝く低い草のことだろう。

モスリンは、白くて薄い着物の生地。

 

(引用)

 

「草原(ステーピ)」

――ボリス・Л・パステルナーク「わが妹人生―1917年夏」より。(工藤正広訳)

 

 

静寂へぬけるあれらの遠出は何と素晴らしかったろう!

一枚の海洋画のような、果てしない草原(ステーピ)。

はがねや草は溜息をもらし、小蟻たちは微かにささめく、

そして 蚊の泣き声が漂い流れる。

 

干草の堆(やま)と雲たちは一連(ひとつら)なりに隊列を作り、

そしてかき消えてゆく、火山の上にまた火山。

ほんのすこし、果てしない草原は黙(もだ)して、濡れて、

揺さぶり、運び去り、押し出す。

 

霧は四方からぼくらを海のように奪い取った、

薊(あざみ)のなかで長靴下のあとを追いながら、

そしてぼくらには不思議だ、渚のように草原(ステーピ)をさまようことは――

揺さぶり、運び去り、押し出す。

 

霧の中にあるのは干草の堆(やま)ではないか?誰(たれ)がわかる?

藁束はぼくらのじゃない?近づいてみよう、――あった。

――見つかった!まさにそう。――藁束

霧そして草原(ステーピ) まわり四方から。

 

そして銀河の路はかたわらをケルチに通じる、

踏みしだかれぬ古道のように、家畜にほこりをあびて。

百姓小屋のむこうにまわれば、息が切れよう、

まわり四方から遮るものなく開かれているのだから。

 

霧は眠りをいざなう、はねがや草、蜜のような。

はねがや草はことごとく銀河をこぼち落とされて。

まわり四方から藁束と草原(ステーピ)を。

 

影にあふれた真夜中が銀河の路のかたわらに立ち、

踏みしだかれぬ古道に 星たちとなってのしかかった、

だから道を横切って柵のむこうへ移っては

いけない、宇宙を踏みつけずに。

 

いったいいつのまに星たちはこうも近く生えたのか、

そして真夜中はブリヤン草の中に浸されたのか、

濡れそぼったモスリンがきらめき、驚き、

にじり寄り、寄り添い、終局(フィナーレ)を渇望したのか?

 

草原(ステーピ)にぼくらを審判(さば)かせ、夜に解決させるにまかせよう、

どうして、どうしてそんなことがあろう――太初ニ

蚊ノ泣キ声ガ漂イ流レ、小蟻タチガ這イ、

薊ガ長靴下ニ突キ刺サリハシナカッタなどと?

 

愛するひとよ、長靴下を被(おお)いたまえ! ほこりだらけになるよ!

草原(ステーピ)はことごとく堕罪以前のようだ。

すべてが――平安に抱かれ、すべてが――パラシュートのようだ、

すべてが――後足で立ちそびえる幻!