技術への問い:ノート②

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ハイデガー「技術への問い」という本のうち、「技術への問い」という項目を読んだ。

現代技術の本質は、「集立」にある。
集立とは何か?その前に以下の説明が必要になる。
技術の本質は何かと問い詰めていく。
まず、道具などが即座に使えるように「用立て」される。
その用立てのあり方を、「用象」と名付ける。
次に、用立てられたものは、完成像がどこかにあることを前提にする。
その完成像が想定されるこの前提において、その都度進路を通ることになる。
進路について、「隠れていたものを表に出す」ということで、伏蔵という単語の逆、つまり「開蔵」と名付ける。
開蔵のしかたとは、自然の中に伏蔵されたエネルギーが掘り当てられ、掘り当てられたものが作り変えられ、作り変えられたものが貯蔵され、貯蔵されたものが分配され、分配されたものが転換されることによる。
これは、水力発電を例に取ると分かりやすい。
こうして、もろもろの進路を開蔵する。

現実的なものが用象として開蔵されるのは、人間によって挑発される調達による。
例えば、山番は伐採された木を測定する者だが、山番は木材を利用する産業によって用立てられており、そして、木材繊維は紙の需要によって挑発され、物をむさぼり読むように世論を仕向ける。

「集立」とは、用立てという仕方で、用象として開蔵するよう人間を調達する(挑発する)、その目的のために人間に「呼びかける(収集する)」ことを言う。
例えば、山々の集まりは、山脈という収集をされている。
つまり、集立とは、用立てへの挑発である。
現代技術は、あるものをある用途に向けて集めるだけでなく、用途が別の用途を挑発していく連鎖の中にある。
すべてのものを何らかの連鎖の中で役に立つものへと(用象へと)収めていく点に、彼は現代技術の本質を見出し、それを「集立」と呼んだ。
自分の本質なんて分からないのに、自分自身でさえも集立として駆り出される。
それは、物事の本質から逸らす危険もある。

なので、詩的に物事を考えることによって、本質に戻ることが出来るのだ。
「技術」は、芸術のことも含む。
しかし、「技術の本質」の対義語は、芸術である。
技術
技術の本質。
そして、芸術の本質は詩である。
我々は、物を技術の道具としてだけでなく、詩的に考える視点を持つことによって、真理に戻ることが出来る。