Facebookのグループ内に投稿した内容とかぶるが。

Evgeny Zarafiantsの奏する、スクリャービン24の前奏曲 No.2」。

YouTubeの音質は悪いので、断然Spotifyで聴くことをお勧めする。

SpotifyがPCに入っている人用↓

自然栽培の茶葉は成長が遅く、その分だけ素材そのものの甘味と後味が増すように、この演奏もゆっくり弾くことを売りにしている模様。

ただ、本来ならば水がこぼれ落ちるように、もっと速く弾くのが正当だと思う。

もしそうなら、この演奏は異端ということになり、水がスローモーションでこぼれ落ちるように聴こえるのだが、それはそれでかなり良い味を出しているように思える。

 

そもそも左手が倚音から始まっていて、終始不安定さが残るのだが、それは逆に曲自体の緊張感を持たせていることになる。

その和声の特殊さゆえに、私はこの曲への偏愛がある。

深夜にこっそり聴きたいね。

 

また、9小節目にcresc.があるが、どの大きさまで音量を上げるのか、その発想記号が書かれていない。

しかし、これは直線的に音量を上げるわけでもなければ、頂点をffで弾くわけでもなく、あくまでこわれものを抱いて階段を上がって行くように、慎重を期すべきだと思う。

その点、この演奏者は分かっているようだ。

 

ちなみに、Facebookのグループ記事では、そこの発想記号が欠落している部分を「ジャック・デリダのいう意味論的空虚がそこにある」と書いた。

どうせこんな小難しいことを書いても、誰も反応しないだろうなと思っていたら、相変わらずそこに反応する人はいなかった。

良かった。

デリダの著作で読み通したものはまだ一つもないので、深入りした質問をされたら逆に困るところだった。

「意味論的空虚」の元ネタは、「ジャック・デリダマラルメ」というPDFの論文↓

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ellf/107/0/107_187/_pdf/-char/ja