キニャール「落馬する人々」を読了した。

キニャール「落馬する人々」を読了した。

この本、アマゾンで買うと高いね。

私は表参道での仕事帰りに青山ブックセンター本店に寄り、そこで易占いの結果によって購入したから、3000円ぐらいの定価で済んだけど。

 

(Facebook投稿記事↓)

 

パスカルキニャール・コレクション「落馬する人々」、読了。

戦争は人間の残虐性によって出来ている。
一方で、落馬した人たちは、落馬することによって生死の境をさまよい、生まれて来た目的や自分の過去の系譜について語り出す行為が見られるという。
人は幸福になるためには、社会に合わせて生きるのが良いのか、それとも社会から分離して隠者であることが良いのか。

 

よくここまで落馬を経験した歴史上の人物を調べ上げたと思います。
この歴史マニアぶりには驚かされます。
やはり、死んだ人の言葉を書き起こして鎮魂させるという目的が、このような著作集を生んだのですね。
落馬という生死の境をさまようことで、忘我=脱自に陥り、生まれて来た目的が何なのかという方向に興味を持つようになるという。
その瞬間だけ、時間は停滞しているという。

 

ちなみに私は、人生というものは、人それぞれ生まれてきた目的が違っているため、生まれる前に守護霊と一緒に立てた人生計画こそが、本当の意味での幸福への道だと考えています。
それは、とある私の友人女性の連れ子が持っていた胎内記憶で、その子が「髭のかなり長い神様がいて、どんな人生にするか話した(話した内容は忘れたとのこと)」という証言からも推測できます。

(人間をまだ見たことがない胎内にて、神様が人間の形をしていたということは、その子の胎内記憶が記憶違いではない限り、輪廻転生はあるということです。ここでは書きませんが、記憶違いでは絶対に話せないようなリアルな内容でした。)

 

ただ、キニャールは人間不信だと思います。
例えば、祭りの原初がもしも生贄を取り囲んで踊る儀式なのだとしても、今の祭りにはその残虐性はありません。
よって、「祭り」などの言葉を我々現代人が使う時、今の祭りには残虐性は無いため、その言葉の原初の由来を引きずっているという説は間違っていると思います。
今の言葉は、今に由来しています。
ジャック・デリダはそれ(言葉を使う時、その言葉の歴史に関係なく、今に由来していること)を散種と言っていますが、そんな当たり前のことをデリダが言うまで、哲学は「言葉は言葉の由来を引きずっている」という説を支持していたのでしょうか?
だとしたら、哲学というのは全般的に結構間違っていると思われます。
ただ、キニャールは、近代哲学の言うような唯物論者ではなく、近代哲学をも齧ったスピリチュアリストだと考えられます。
なので、例えば「いにしえの光」などの著作では、輪廻転生をほのめかす記述が多いです。

 

落馬する人々 (パスカル・キニャール・コレクション) | Quignard, Pascal, キニャール, パスカル, 美登里, 小川 |本 | 通販 | Amazon