(Facebook投稿記事)



パスカルキニャール「秘められた生」、p.118


下記の意味は、「親の性行為で生まれた子が、性行為中にまた親と同じ快楽を得ている」ということ。

転じて、「全てのイメージは、親などの先祖を遡った原初の状態から由来している」というものです。

その快楽や閃きのことを稲妻に例えています。

下ネタで申し訳ありませんが、文そのものが美しく、単なる卑猥を超越しているように感じたため、載せることにしました。


(引用)


最初の人間たちを蠱惑したのは何だったのだろうか。

「稲妻」(fulgure)。薄暗い空、あるいは闇夜を引き裂く稲妻。今日でも、突然の嵐は人間の身体を陶然とさせる。そして緊張あるいは苦悩する肉体を満たすオルガスムのように、雨は体を鎮め、魂を平穏へと導く。

稲妻は、すべての嵐を包み込む夜のなかで輝くイメージである。官能の放出状態にあるときに、瞼の裏で瞬く快楽のフラッシュのようだ。快楽に伴う聴覚的なあえぎは、そのとき無意志的である。それが快楽の雷鳴だ。

雷の一撃が空を襲い、空間を通過してその証人や犠牲者に衝撃を与えるとき、それ以上に広大な不動状態が雷に先行して存在している。その不動状態は、雷が空間を引き裂き、水が溢れ出して場所や落雷の証人、時間などすべてを覆う-そして水浸しにする-前に、空間全体を緊張させる。