サント・コロンブとマラン・マレ

二人ともヴィオラ・ダ・ガンバの奏者であり、作曲家でもある、師弟関係。

特にサント・コロンブについてはほとんど資料が残っていないが、パスカルキニャールが小説にしてくれた。

それを今読んでいる。

「世界のすべての朝は」

めぐり逢う朝

これらは同じ原本を違う翻訳にしたもので、私は「世界のすべての朝は」の方を購入した。

かなり読みやすい文体と、かなり読みやすい章ごとの区分けのおかげで、ページがすいすいと進んでゆく。

 

人間のどんな感情も音楽にしてしまうと言われるサント・コロンブが言っていたのは、音楽とは日常の生活音のことでもあり、それを楽譜に書き起こしたものが作曲であると。

雪の降る音や、女の泣く声なども、音楽であると。

確かにそう言われてみると、音楽に関係のない音たちや、取り巻く環境は、自身の音楽性に影響しているのかもしれない。

日本人の奏者がクラシックを奏でると、完璧なのにどこか潔癖さや窮屈さを感じることがある。

これは、日本という国は無意識に行動を縛られる場所だからかもしれない。

日本の道路にはゴミ一つ落ちていないのが、外国人には奇跡に思えるらしい。

でも、それだけなら良いのだが、その他のことにも派生して縛りが多くあるため、出来上がる音楽性は窮屈なものとなったりするのだろう。

その点、外国はフリーダムなので、無意識の探究が阻害されることなく、その音楽性にはどこか自由を感じることが出来るのだろう。