キニャールが言っていた、訳の分からない愛についての論の、答え合わせがここにありました。

愛というのは、人間が繁殖を繰り返して生まれる、その一番先祖の原初の状態を思い出させるものだというのです。

それゆえ、性の蠱惑の中で、この原初の感情が入り込み、この感情のせいで人は自己の内奥に留まることができず、自分から別離するという。

愛のある性行為は自己と相手の融合ではなく、自己が相手に奪われるのだから、融合ではないという。

「愛とはかつてわれわれが依存していた時と同じようにして相手に依存する。(中略) それは自己の内奥にはもはや完全には留まれなくなるという危険を冒すことでもある。」、「(愛とは、)意志よりも強大で到達不可能な魂の力」とも書かれています。


(パスカルキニャール「秘められた生」p.147より引用)


真の愛はすべて、その愛が出現した時よりもずっと古い何物かに取り憑かれている。そもそも愛はそうやって姿を現すものなのだ。他所がここに現れ、遠くのものが絶え間なくここに流れ込み、現在の刻一刻が絶えず過去を引き寄せようとする。それは、われわれの存在に先行し、蠱惑 (蠱惑とは実働中の融合にすぎないのだが) のなかでわれわれを呼び求める別離の瞬間であり、夜と融合の喪失でもある。


(引用、終わり)


やはりキニャールは、訳の分からない文章をオートマティスム(無意識に任せて自動記述したもの)で書いたのではなく、どうやらちゃんと意味が通っているみたいです。

ただ、キニャールの文章の全部が全部、意味が通っているかというと、そうではない可能性も捨ててはいませんが。