反応がゼロだったので、投稿したことを少し後悔している。



(Facebook投稿記事)



(以下のことは、他人に強制するわけでは全くありません。ただ、これで少しでも救われる人が一人でもいるのならと思って書きました。なお、そのうち電子書籍にしてまとめても良いかなと思っています。)


人の人生計画は人によって違う。

しかし、大まかなことは下記に当てはまるかもしれないので書いておく。


私が2/23から再び信じ始めた引き寄せの法則は、私自身に引き寄せが起きてみて、初めて仏教の大切さが実感できた。

私には、今までなかったような良いことも起きたが、主に今までになかった逆風が連発した。

だから、今まで起きなかったことが、信仰を変えたその数日後から起き続けたということは、思考と現実は何かしらの連動があるものなんだなと。


仮説。

自分の中の悪い思想を消していく。

すると、周りに悪い人間がいなくなるということは完全には起こらないが、自分が優しい心を持ったまま誰かの犠牲にならずに済む道が見えてくる。

悪い思想とは、誰かを馬鹿にする思い、誰かをコントロールしようとする思い、誰かに復讐してマウントを取ろうとする思い、自傷する思いなど。

そう思っていると、同類の悪い思想を持つ人間が寄ってきて、そういう悪人たちと上手くやっていかないと、やがて自分が犠牲になる。

それを分かった上で、勧善懲悪を信じること。

神は私の信仰を必要としており、恐らくそれが私の人生での原動力になっている。

そして、悪人をコントロールするのは、私ではなく全体を統括する神の力だ。

そうすれば、自分の周りだけが勧善懲悪になる。


ただ、仏教のダメな所は、愛まで否定してしまった所。

「子を欲する勿れ」というのは、コンドームがなかった時代に、最底辺の人たちを救うために言った言葉であって、我々がそれを鵜呑みにしてはいけない。

神とは愛の塊である。(「懐疑論者の祈り」というサイトに書かれた神体験談による。)

愛を否定した人間に、神は力を貸すとは思えない。

なぜなら、それだと愛を否定する者同士で争いながら生きることになるから。

それと、過度な物欲や性欲は他人を不幸にするかもしれないが、神性の伴った物欲や性欲まで否定してしまったら、人生の発展がない上に、少子化になって人が絶滅する。

仏教のダメな所は、このように人間に備わった神性まで否定している所。


神とは常に、愛に溢れたサイコパスであり、それはなぜかというと輪廻転生後も含めた上で愛を学ばせるための人生設計をする存在だから。

自分が何かを引き寄せたいと心から思うことや、直感に従って生きることは、神と一緒に立てた人生計画を遂行することに繋がる。

人生計画は、もし道を外したとしてもまたそこから再構成されるからこそ、私には未来透視現象が現実化した経験が最低でも2回は起きているのだ。


この世は神の引き寄せで出来ており、人は神の一部として魂を与えられているからこそ、その中でなら人にも引き寄せは使える。

また、神の引き寄せの辻褄合わせとして、物理法則などの絶対法則があり、人はその中で愛を学び他者に貢献し幸福に生きるように出来ている。

(ちなみに、室田泰文さんはその物理法則すら一度だけ破った経験があるらしいが、大変な上に無益なので二度とやりたくないとのこと。)


そういえばレヴィナスが、「人間愛の存在こそが、人の神性である」との旨を言っていたが、それは倫理ではなくオカルト的にも本当だったんだなと。

また、レヴィナスが言うには、「他人の神性を認めることで、人間同士の本来の関わり方が出来る」という。


仮説。

全ての人は、愛に溢れた善人である。

ただし、前世からの心の傷によって、自分と同じような不幸を分かち合える人を欲し、人は悪行に染まることがある。

だからこそ、神は本当は全ての人を愛している。


仮説。

地球とは所詮、地獄である。

だから、何かを殺して食べないと生きていけないし、悲惨な事件が時々起こるし、心の汚い人間がいる。

また、他の惑星に輪廻転生出来れば地球ほど苦しい生き方をしなくてもいいらしく、それを知覚した人が死後の世界を天国と呼んだ。

(SAM前世療法では他の惑星にいた前世を呼び出せるし、私の前世のうちの一つは雌雄同体の惑星人であった。)

地球にいる我々は、前世からの行いを見て決められた必然でそうなっているのであり、その中で魂の修行をして愛を学び、愛を一通り学び終えた者だけが、高次霊・守護霊になるという中間目標に行き着くことが出来る。