パスカル・キニャール「はじまりの夜」、読了。

(Facebook投稿記事)

 

パスカルキニャール「はじまりの夜」、読了。

 

キニャールの他の作品と同じように、今回もまた人類誕生の起源を題材にしています。
つまり、人類誕生の謎は、最初の人類の性交によって胎内から生まれ、あるいは処女懐胎によって生まれ、その時に母親から分離される胎児だった頃の記憶を、我々は皆、深層意識に共有している、というキニャールの説です。
表向きの意味は、我々が生まれた時に母から分離された頃の記憶を深層意識に持ち続けている、というものです。
しかし、「いにしえの光」などの他の作品を見る限りだと、その時の記憶を「往古」という表現を使っており、普通、自分が生まれた時の記憶ぐらいの昔ならば「過去」と表現するはずです。
さらに、今作品でも「自分の生より前に何があったのか、誰も決して知ることはないだろう。」と書かれてある通りです。
なので、この往古というのは生殖による遺伝を遡った、あるいは輪廻転生を遡った、一番最初の昔のことだという説が有力でしょう。

 

ちなみに、キニャールの物語的な小説(この作品ではない)には、必ずと言っていい程、主人公が死んだ恋人の幽霊と会話する話が出て来るので、キニャール自身はオカルト肯定派です。
もしかしたら、ある種の霊的感性を、日々の生活の中で殺さないように保ち続けているのかもしれません。
そして、キニャールの師匠であるレヴィナスの書いた「全体性と無限」には、輪廻転生などのオカルト現象を認めている記述が所々にあります。

 

だからこそ、今回の作品は「はじまりの夜」という題名なのでしょう。
今作品は、性的な記述や絵画の引用がメインとなっています。
しかし、そのわりにはあまり厭らしさがありません。
絵画に関する話が多く、この本は書店の絵画書籍コーナーに置かれていました。
性と絵画に関するトリビア集のような内容になっています。
例えば、クールベの「世界の起源」という絵画にその題名を付けたのはラカンだったそうですが、この本の内容はその「世界の起源」という絵画一枚の中に集約されているような気がしなくもないです。

 

あと、水声社の本は相変わらず紙質が良くて好きです。

 

 
(以下、引用)

 

p.224
「異性同士の性愛において互いを見出すのは、ひとつの統一体をなすべき二つの半身ではない。互いのために作られた二つの性が、そこで互いに補い合うのではないのだ。二つの未知のものこそが、永遠に未知なる次元のなかを、「一緒に旅する」(ラテン語で言えば共に-行く〔=性交する〕)のだ。」

 

p.210
カラヴァッジオは自分の絵のモデルを、窓のない地下室に並ばせたと言われている。モデルの上に明かりをぶら下げ、突き出た部分だけを照らすことで、残りをすべて陰のなかに置き去りにする――そうして、あの驚嘆するような立体感を身体にほどこしたのだと。そのようにしてカラヴァッジオは、空間から準拠を奪い、モデルが閉じ込められた部屋に見つかるすべてのものから、その座標と時間を取り去ったのだ。
これはアウグスティヌスの言葉だ。身体における死とは、場所における闇である。」

 

p.211
「いちばん奥底に何があったのか、暗闇のなか、自分の生より前に何があったのか、誰も決して知ることはないだろう。かくも連続的なのだ。かくも混沌としているのだ。そこには記憶がない。レオナルドの心和む夜。カラヴァッジオの突如現れる夜。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの瞑想の夜。レンブラントの深い、かつての、内的なままの夜。ゴヤの荒々しい、戴冠した夜。ストスコフの凍りついた夜。クールベの煤けた夜。トロフィム・ビゴーの厳かな夜。ホントホルストの不安げな夜。スルバランの死を招く容赦ない夜。晩年のジェリコーのぞっとするような夜。オウィディウスは追放され、身寄りなく、死に瀕し、ドナウのほとりでこう書いた。死すべき者たちの胸は、何ひとつ見通せぬ〈夜〉でどれほど満ち満ちていることか!(Quantum mortalia pectora caecae Noctis habent!)」

 

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