一つ前の記事の続きになるかもしれないが。
メシャムパイプを吸って、思い浮かんだことがある。
メシャムを吸うなどして、かなり良い気分を継続させるようなことを行うと、神託みたいなものが降りることがある。
それは、下記に書いたものがそう↓
なお、神託というのは側から見たら痛々しい場合もあるのだが、あの世にいる高次霊や神々の基準では全く痛々しくない。
なぜなら、肉体を持たないあの世においては、同じレベルの魂同士でしか関わることが出来ないためもあって、それを痛々しいと叫ぶ敵や障害物が皆無だから。
(では、本文。)
女を顔で、男を年収で選んでいる人間は、その方面に関してはただの未熟な人間にしか見えない。
違う。
自分の好きな人の顔が、自分の中だけの理想の異性の顔になってゆくんだよ。
もっと言うと、自分の好きな人の身体が、自分の中だけの理想の身体になってゆくんだよ。
そして、自分がその人を愛してあげることによって、その人の魅力が徐々に引き出されてゆき、結果としてその人が愛され体質の顔になってゆく、というのもある。
どだい、引き寄せの法則を実践してみて分かったが、私は魅力ある異性の全員から好かれることなんて、自分の魂は望んでいないということに気付いた。
むしろそれは、どこに理想の恋愛像があるのかが分からなくなるし、見えるもの全てが妥協の世界になる。
なぜ妥協になるのかというと、誰かと一生一緒にいるのが嫌になってしまうから。
それは、燃焼剤入りの紙巻き煙草みたいなもので、依存でしかなくなるし、これと言って良い味わいもない人生になる。
そういう類の人間は、芸術性から何から何までが薄っぺらい。
たとえそれが、世界的に有名なクラシック音楽の作曲家だったり、小説の作家だったりしたとしてもだ。
ダンテの神曲や、パクり文学であるシェークスピアが、なぜあんなに評価されているのかが謎だが、いつの時代でも大衆はバカばっかりなのだろうか。
それらは、私には薄っぺらい文学にしか思えないし、もっと内容の濃い文学たちは後世に出ている。
自分本位であることを脱しなければ、理想の恋愛像には到達しないということだ。
自分の魅力を解ってくれる人がたまにいる程度だから、人は幸せになれるんだ。
その人との間に芽生えた純粋な愛の火を絶やさないように、また、強く燃やして辛くなり過ぎないようにパイプを吹いてゆくから、だんだん深みのある人生になってゆくんだ。