恐山ル・ヴォワール、アニメ「シャーマンキング」で初めて知った。

これ見てアンナに惚れた人多いんじゃないかな。

私も多感な時期にこれが放送されていたら、多分惚れてた。

重い女の真剣な愛は、女を守ってあげたい欲望と、女に頼られたい欲望という、この表裏一体の二つの欲望を刺激する。

人は辛い経験をすると大抵は愛を捨てる方向に行って自己中なクズになるんだけど、たまに本物の愛(人を愛する心)を持っている強い心の人がいるのも事実で、そういう人は、普通の人生を送っていて甘やかされて育った人よりも愛の大切さを知っているから、思いが強いんだよね。

泥中の蓮みたいなもんだ。

私もそんな人間であろうと頑張って生きている最中だ。

辛い経験をしたのに愛をより強く持つように生きて来た人は、神様に選ばれている。

なぜなら、他のクズになる人たちが出てくることは神様の想定内だと思うし、そいつらを切り捨てて、その中から本当に高次霊に相応しい人が少数生まれるのも分かっているのだろう。(←これは全ての人に言えることなので、全ての人がこの当事者である。)

切り捨てるっていうのはつまり、死後に幽霊になってしまって成仏しづらく、また、成仏したとしても再度またこの世に生まれ続けてしまうので(地獄がもしあるなら地獄へ落ちてしまうので)、神様に近づくという最高に幸せで心地良い世界に行くことが出来なくなること。

この世の幸せが最高なのではないが、最高だと思ってしまっている人の何と多いことか。

神様が困難を与えるのは、死後以降のことも当然ながら計算に入っているからだ。

あなた自身が綺麗な魂になって、そういう魂しか集まれない空間(天国と呼ぶ)に居続けて、幸せになるためなんだ。

その証拠に、例えば稲垣勝巳さんなんかは、レベルの高い魂になるために敢えて困難を背負って生まれて来たと、高次霊から言われている。

また、稲垣勝巳さんは元々ガチガチの唯物論者だったのだが、今は前世療法スピリチュアルのパイオニアにすらなってしまった。

つまり、そういう人は神やオカルトを信じやすい。

たとえ今は唯物論者だったとしても、ある日を境にいきなり宗教的なことに目覚めたりするということだ。


ちなみに、シャーマンキングは私が小学生か中学生くらいに放送されていて、今になってリメイク版が放送されている。


シャーマンキングは、結局、引き寄せの法則のことを言っているような気がする。

アンナの悪い思念が大きな鬼を作ったり、葉(よう)を愛してしまった瞬間から鬼の力が弱まったりと、思念の実体化にすごく重きを置いている感じの作品だ。

作者はかなり霊的感性が鋭いと思われる。