ジャック・デリダ「散種」、序文のみ読了。

(Facebook投稿記事)


ジャック・デリダ「散種」、序文のみ読了。


序文だけで92ページもあり、スマホにメモを取りながら読んだものの、あまりよく分かりませんでした。

単に難しいという以上に、一種の理不尽な難しさがあります。

はっきり言って、時間の無駄だったかもしれません。

ただ、これがフランス文学論の最先端なんだなということが何となく分かれば良いと思います。


そもそも言葉というのは複数の意味を持つため、この本に書かれた理不尽な文章には、読者の推測を介入させるしかないのです。

そのことを、この本の著者は「散種」と呼んでいます。

なので、今の私程度のしょぼい読解力で言わせてもらうなら、

「散種というこの本自体が、散種の概念で作られたものだったんだよー」

というのが種明かしのような気がしてなりません。


言葉には、今使われているその言葉の意味が有効なだけであって、言葉の意味の起源を辿る必要はない、ということ。

それが、デリダが「散種」と名付けた言葉の意味のうちの一つです。

また、散種には脱構築の意味もあって、デリダはこう言っています。

「林分からその一部の木々を取り除き、足元に残る木々がつける種子が、自然と散種され、地面に撒かれるようにする作業。」

つまり、この概念で書物を書いたらどうなるか?

恐らく、それを実験したかったのだと思います。

違いますかね、デリダさん?


また、著者はマラルメの詩についても思考を巡らせています。

マラルメの詩には、ノヴァーリスの文学論が垣間見えるとのこと。

ちなみに、ノヴァーリス神秘主義者で、今で言う所のスピリチュアルを信仰しており、その神秘信仰に味付けされたキリスト教の聖書を土台にして書かれた文学を残しています。

つまり、マラルメの文学には、そのノヴァーリス的聖書が土台になっている可能性が高いというのです。


また、ロートレアモンの「マルドロールの歌」という詩集は、ロートレアモン自身が数学好きだったために、数学の論理である「分析」と「総合」を元に書かれているといいます。

ところが、マルドロールの歌の最終章(第六歌)では、「諸君、この詩集は数学を元にして書かれているぞ」みたいな意味のことが書かれており、その詩集を読んでいる著者に一種のぶっちゃけをかますのです。

そのぶっちゃけをかます手法は、デリダにとっては新しい手法に思えたようです。

なぜなら、読者と著者の壁が崩れるからです。

そのことも、デリダは散種の概念なのだと言っているようです。


さて、この本の序文は、「そもそも序文とは何なんだ?」という論からスタートします。

序文とは、本文の内容を要約したものなので、序文自身は本文を読むと同時に消される存在とされており、「それで良いのか?」という論が展開されます。

また、哲学書の序文は、知を外部から導入されて、前もって与えられたものとして定義するしかなかったそうです。

(「外部からの知」とは、他の哲学書から得た知恵のこと。)

(「内部にある知」とは、著者自身のオリジナルな考えのこと。)

そんなわけだから、序文の各ページは、外部からの知と内部の知の異種交配のような二面性が浮かび上がり、自分自身から剥離します。

これを「二重の意味」と呼んでいるようです。

つまり、哲学書は、著者自身の考えを元に読むのと、他の哲学書の考えを元に読むのとで、二重性があるため、途中から他の哲学書の思考で読んでしまうと、著者自身の思考からは剥離されてしまうということ。()


また、序文で提示された意味の先取りは、事後性を帯びているそうです。

まあ、序文ですから、本文の意味を先取りしているのは明白ですよね。

それが、事後性を帯びているというのです。

ただ、その事後性が起源に変わると、起源がそこなので本文内容ではその序文の通りに書かれている、といった循環があります。

(当たり前ですよね、序文は本文の先取りなので、本文は序文で言っている意味の通りに書かれるのですから。)

しかし、散種はその循環を遮断するそうです。

なお、この本の序文で出てくる「百科全書の円環」とは、恐らくこのことを百科全書に当て嵌めた場合に言っているように思えます。


そして、言葉というのは普通、意味を持ちます。

つまり、言葉は意味に還元されます。

しかし、意味に還元されない言葉もこの世にはあるのです。

それが、マラルメの詩に使われる言葉なんです。

マラルメの詩の言葉の一部についてデリダは、「ぶっちゃけ、そこに意味なんてない」と言っているのだと思います。

さて、ある言葉があったとして、その言葉自体のことを「意味しているもの(シニフィアン)」と呼びます。

一方、その言葉の意味自体のことを「意味されたもの(シニフィエ)」と呼びます。

つまり、マラルメの詩にある意味不明な言葉は、「シニフィエなきシニフィアン」だと言うのです。

この「シニフィエなきシニフィアン」という言葉は色々な哲学書で使われるので、覚えておくと良いかもしれません。


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