私の願いは、皆で仲良くすること。
それがせめて私の周りだけにでも起きること。
嫌な奴が出てきたら、心の中で殺すイメージをしてもいい。
ただ、私の願いは、殺すよりも無力化させること。
無力化させることをイメージするのも手だ。
場合によって、どっちも分けて使おう。
うぜえ、死ね、って思った後に、相手が勝手に無力化するシーンを想像すること。
もしくは、こちらの手を汚さずに、相手が勝手に死んでくれることを想像すること。
それは、信じる力が強くなるから。
我々は、本当は愛を学んで魂の格を上げるために生まれて来ている。
つまり、それが魂に備わったベクトルなわけだ。
そのベクトルに忠実に生きることが、一番自然体である。
ゆえに、その状態(魂の人生計画に忠実な状態)を守りながら何かを信じるのは、信仰心が強いんだってこと。
嫌な奴は、信仰心が弱い。
弱いから、自分の心までをも外部に依存させる。
その結果、自分の人生計画をダメにしてまで、外部にコントロールされてしまう。
悪人で成功した奴は、最期まで世間体のための取り繕い、権力の維持、復讐されないようにするための努力など、それら無駄なことのために、その身を、その人生計画を、犠牲にしてしまっている。
無駄な努力をした反動で、その心の痛みを誰かに分かって欲しい思いがこじれて、弱者を見つけて悦に浸り、また無駄な努力の要る生活を維持し続けるという、悪循環。
それは不幸だ。
すごいな、また神託が降りたよ。
葉巻を吸う、ハッピーちゃんの動画を見る、などの幸せな行動を取ると、神託が降りる。
そしたらもう、そいつに視点を合わせるのをやめても良くなるだろう。
そしたら、エイブラハムに視点を合わせよう。
エイブラハムとは宇宙意識のことだ。
宇宙というと、普通は空の向こうのことを指すけど、今言っているのはそうではなくて、この世と空の向こうのものが全部同じものだっていう意識のことだ。