「以前、一冊のボードレールの余白に書いたもの」ステファヌ・マラルメ

(Facebook投稿記事)

 

マラルメ散文詩「Autrefois, En Marge D'Un Baudelaire」を翻訳しました。

現行の日本語訳だと「かつて、一冊のボードレールの余白に」などというタイトルになっているかと思われますが、これはつまり「一冊のボードレールの本の余白に書き留めておいたこと」を指します。

 

私の訳にて、最初の一行である「詩的なインスピレーションが無力のとき」という文章は、フランス語の直訳だと「インポテンツのミューズ」となっています。

ミューズという単語は、ギリシャ神話にある文芸の女神以外にも「熟考」や「詩的なインスピレーション」といった意味があります。

つまり、「インスピレーションが湧かず、書くことが何も思いつかない!」という苦しみのことです。

ただ、もう少し分かりやすい意訳をするならば、「詩的なインスピレーションが湧かないとき」となりますし、これでも良かったのかもしれませんが、何となく原文そのものの型を壊してしまう恐れを感じたため、このように訳しました。

 

なお、「書くことが思いつかない」というのは、詩人マラルメが生涯背負っていた「素白の苦しみ」というテーマそのものであり、真っ白なノートに書く詩が思いつかない職業詩人の苦悩を指すことは、先にも述べた通りです。

 

(本文)

 

「以前、一冊のボードレールの余白に書いたもの」

 

詩的なインスピレーションが無力なとき、韻律は枯渇し、読み返すことを私に強制する;飲み物を持った敵として、私は他人から貰った酩酊をそのまま君にお返ししよう。

 

阿片にも似た、幽霊のような強烈な風景;あそこの地平線の上には、祈りによる青い穴のある、鮮やかな裸体がある―その祈りは、植生や、剥き出しの神経のもつれによる樹皮の痛みを含めた木々の苦しみ、そして、揺らめく葉たちの先端がヴァイオリンのように奏でる苦情の、静止した空気にも拘わらず伴う、目に見える彼らの成長のために:彼らの影は未来に亘って、忘却を囲む縁の黒い花崗岩のある不在の庭の花壇の中に、無口な鏡を広げる。大地の花束たちの周りには、落ちた翼の羽毛がある。その日、一本の光線に応じて、他の人たちはその後、退屈さを失い、燃え上がる、この理解不能な紫色の流れ―それは化粧から?血から?太陽が沈む不思議よ!それとも、後ろで動いている工匠の悪魔によるベンガルの火によって照らされたこの涙の急流か?犯罪、後悔、そして死によって続くことのない夜。それゆえ、全ての流罪による不吉の破壊の中の悪夢によって、少し啜り泣くその顔を覆い隠す;どんな空模様だろうか?