パスカル・キニャール「深淵」、読了。

(Facebook投稿記事)

 

パスカルキニャール「深淵」、読了。

 

この本は一時期廃版になってしまい、在庫がネット上に完全に枯渇した「超激レア」な状態となっていましたが、今年2022年の1月において無事再版されました。
それを知らなかった私は最初、青山ブックセンター本店でこの本を見かけた時に唖然としましたが、また廃版になるのを恐れたのもあって即行でレジへと買いに走りました。

 

この本の主旨は、歴史的な懐古と温故知新です。

 

われわれはふとしたきっかけにより、往古を思い出すといいます。
恐らくキニャールの言う「往古(jadis)」とは、遺伝の祖先を辿って行った、一番最初の胎内にいた時の感覚のことでしょう。
そして、キニャールエマニュエル・レヴィナスの忠実な弟子だったこともあり、レヴィナスの哲学に則った、正統派ユダヤ教の教えが根底にあるものと考えられます。
つまり、遺伝的に一番最初の胎内、および一番最初の親同士の性交とは、キニャールにとっては恐らく宗教的なものだと考えられます。
それが、7日間で創世をした神自身の誕生時のことなのか、はたまたその後のアダムとイブのことなのかは分かりませんが、どうも読み解いていく限りでは後者のように思える気がします。
ちなみに、正統派ユダヤ教では輪廻転生も認められていますが、どうも彼は遺伝による往古のことを述べているようです。
(まあそれでも、彼の他の作品を読むと、主人公が死んだ恋人の幽霊と会話するシーンが必ずと言って良いほど登場するので、死後の世界そのものは認めているようですが。)

 

なお、深淵というタイトルの意味は、以下に述べられたものが有力だと思います。

 

p.49
「ピエール・ニコルは書いた。過去とは、移ろいゆくあらゆる物事を飲み込む底なしの深淵である。そして未来とは、われわれには不可知なもう一つの深淵である。一方は絶え間なくもう一方に流れ込む。未来は、現在を経過して流れてゆきながら、過去に注がれる。われわれはこれら二つの深淵のあいだに置かれており、それが感じられる。というのも、われわれには未来が過去に流れてゆくのが感じられるからだ。この感覚が、深淵の上に現在をつくっている。
時間の「深淵」(a-bysso)。
そこに到達するやいなや太陽光がもはや届かなくなるような、大海のもっとも深い地を深海=深淵と呼ぶとは、いみじくも言ったものだ。」

 

また、「夜は空の奥底である。」との記述もあります。
宇宙はまだ若いので、星々を取り除いた夜空こそが虚無の黒であり、深淵である、と述べています。

 

更には、p.250にて「往古の痕跡」という題のエッセイが綴られています。

 

p.250
「(前略)わたしは、読書をしながら甘草の木を咬む、極端に痩せた男を思い描く。
アルデンヌでの喪のために出してきた黒くて長い洋服が見える。アルデンヌの森の境界の、ショーにおいてである。従姉妹ジャンヌの家の前の中庭で、編まれた柳の選択べらと共に、窓につるされた布が激しく揺れる。
セーヴルのプレイエル社のピアノの近くの床に突然落ちた、パピルスの黄色い紙、
眠れない夜のまん丸で黄色い月、そこでは若い男が裸で、とめどなく散歩をしている、(以下略)」

 

私は歴史に詳しくないため、この記述は謎でした。
ただ、「プレイエル社のピアノ」という記述があるため、その時代であればジャンヌ・ダルクの従兄弟ではないことになります。
あくまで仮説ですが、これはキニャール自身の前世記憶だという可能性もあるのではないでしょうか?...

 

そして、難解な文章の間に咲く美しい文章もあります。
「リニア」と題されたこのエッセイは、リニアという植物の化石がモチーフになっています。
リニアとは、シルル紀からデヴォン紀にかけて繁茂し、絶滅した原始的な陸生植物の多様なグループで、化石植物として残っているものであり、維管束があって胞子により繁殖したそうです。

 

p.261
青銅器時代にさかのぼる、小さな市場町の泥土からできた型がある。
ノーラ(イタリアの主要都市)の産業的な郊外の醜悪さの下で、化石になった驚異。
リニアは、五〇センチほどの高さで、その名は発見された場所に由来している。それはスコットランドのリニアの伯爵領であり、そこでリニアは火山の噴火の際に地に埋まったのだった。
花のポンペイがある。」

 

もちろん、ポンペイでは噴火の粉塵によって人々が一瞬にして亡くなりましたが、それが植物でも起きていたということを表わしています。

 

そして、美しいものの、しかしなかなか解読が難解な文章も沢山あります。
その一例が下記のものです。

 

p.252
「太陽から射す光線は説明しがたい。われわれ自身の目には、水よりもさらに説明しがたい。
太陽の光線はわれわれ自身の身体よりもずっと最近のものである。
その強烈さは並み外れている。興味深いことに、太陽の光線はわれわれが生まれたあとに弱まる。しかし、われわれにはそれが見えない。われわれの目はくらむ。
その粘り気は、水の粘り気よりもずっと触知できないものだが、いっそう奇妙である。」

 

恐らくこれは、生まれたばかりの時の感覚を書いているのだと思われます。
胎児が生まれたばかりの時は、もっとも太陽光が強く見えているのに対し、その後はだんだんと視力が安定してきて、太陽光の刺激にも耐えられる目になっていきます。
そのことを表わしているのだと思います。
そして、太陽光線に粘り気があるのだとしたら、もしかしたら生まれた瞬間にはそれが僅かに触知できていたのかもしれませんが、水の粘性と同様に、生まれた後からはだんだん分からなくなっていく、ということを書きたかったのかもしれません。

 

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