(Facebook投稿記事)
日本の暗黒舞踏をテーマに、キニャールと親交のあったカルロッタ池田や、ギリシャ神話の残酷な王女メディアを題材にするなどした、踊りというものの起源を考察する哲学的なエッセイです。
さて、植物たちは太古より不動性を宿命づけられ、滅びることがないよう、自らを折り畳み、全方位に向かって根を広げようとしました。
それこそが自然におけるダンスの起源だというのです。
自然のなかに見られる、ダンスの三つの段階は、「折り畳み。遅さ。暗さ。」
その話が伏線となって、宇宙空間にて回転していた星、スピンスターの話までもが出てきます。
(引用、p.184)
スピンスターは全て爆発した。
最初の星たちの外面の回転速度は毎秒五〇〇キロだった。
宇宙にのこったのはその残骸、重い元素であるストロンチウムやイットリウムを多分に含んだ残骸で、それらの元素はすぐに超高速の回転を始める。
現在の太陽はその二五〇倍遅い。
(引用、終わり)
そして、植物が根を伸ばす様は、胎児が産まれる瞬間に闇の中でもがく様に通じるものがあります。
舞台上にてライトアップされるダンサーの姿により、ダンスは闇から生まれ、光へと突然注ぎ込まれるが、それは光の中にあるのではなく、光のそばにあるとのことです。
なお、今回のキニャールには美しい文章が結構登場します。
(引用、p.186)
2 黄昏について
夕刻、照明を消し、闇のなかへと進む、その場所を包む「暗きもの」のなかへと進む。そこでは、あらゆる存在が、深まる夜とともに広がる際限のない、無定形な、包み込むような物質の中へと溶けてゆく。ひとたび服を脱ぐと、すでにわたしの呼吸はゆるやかになり、身体はなお浴槽の心地よい湯のようにみずみずしく、庭へと通じる数々の扉の鍵穴にひとつひとつ鍵を差し込んでは回そうと空っぽの部屋をさまようがごとくすがすがしい。路地へと抜ける鉄の扉の鍵穴に鍵束をさしこんだまま、家の一階の窓をひとつひとつ確かめたのちに、家が完全に閉じた容れ物であることを確信した身体は、孤独に身を任せ、薄暗がりのなかに紛れて、管や壁や風がたてるいつものささいな音を受けとめる。それから放棄された状況に身を委ねる。剥き出しの四肢はシーツの中にもぐりこむ。そのとき何もかもが本当に放棄される、究極的に放棄される。眼は暗闇に、肌はやわらかな布地に、肉は自らを包む毛布の重みと、少しずつ生まれる暖かさに身を委ねる。
魂が自由になる。
そして少しだけ身体から離れる。
横たわる頭の少し上を魂が登っていく。
そして溶ける。
(引用、終わり)
今回は残酷な話も多いものの、全体としては芸術の知見が深まり、「読んで良かった」と感じました。
暗黒舞踏(フランス語でもアンコクブトウ)というものも、是非観に行きたいと思いました。
https://www.amazon.co.jp/ダンスの起源-パスカル・キニャール・コレクション-パスカル・キニャール/dp/4801002315