続き。
サンアルクスさんの占い、当たったかもな。
「新しい方向、今までやってみたいと心の奥底で思っていた方向へと、あなたは進むでしょう」とのこと。
直感に従って生きていたら、自分の内奥にある感性がいつの間にか育っていった。
冗談半分で言わせてもらうが、私はまさか今からピアニストになるのか?
だって、リゲティの演奏では誰も上手い人がいないんだもん。
それに耐えられない。
リゲティのエチュードという、あんな素晴らしい曲がなぜか世界的に評価されない。
逆に、ショパンというあんなナルシスト臭のする曲を作る、色んな方面で古臭いものばかりが評価され、一流の演奏家たちは皆こぞってショパンばっかり演奏するという。
世界中の皆は、いつまで古文書ばかり読み続けるんだよって。
古文書は学生が自分の中だけで勉強するものであって、客に出すものならそこから力を得て進化させたオリジナルな最先端のものを出すべきだよ。
古文書だけじゃなくて、新たな作家も評価しろよ。
技術は常に進化し続けるべきなんだ。
詩を読め。
あるいは、ガストン・バシュラールの哲学書でもいい。
あるいは、デリダの散種を精読するんでもいいから。
ピアニストという一つの「芸術家」になるには、まずそこからだよ。
なぜか世界的に評価されない、ファルグの散文詩を読めよ。
あのハイデガーですら、「技術への問い」では、「人間が道具にならないためには、詩的に生きた方がいい」と言っているのに。
追記:
そういえば、私を馬鹿にする人たちのことが、どうでもよくなって来た。
「どうでもいい」とこのブログで言い続けていたら、事態が本当にどうでもよくなって来ることを引き寄せた。
他人と比べて悦に浸るのは、現実逃避であって、時間の無駄。
今の私は、自分でも時々怖くなるくらい、他人に興味がない。
自分の内面(実力)との闘いから目を逸らし続けるような、そんな雑魚から一流の職人はまず生まれませんので、関わるだけ時間の無駄。
更には、そんな悔しさは全てピアノ演奏と仕事の技術力向上に費やされるので、それどころじゃないです。
今までそんなことで悩んでいた時間は、これから全てピアノの練習に費やされます。
そして、疲れて来たら読書をするという。
読書はストレスを68%軽減する癒しでもある。
その読書すらも本業並みに力を入れており、死ぬまでに知りたいことが山ほどある。
このサイクルに、自然な流れで入ることになった。