キニャールのいう「往古」とは。
カンブリア紀などの地層から化石が発掘され、地層年代も科学的な根拠を持って特定された場合。
それは、聖書の「アダムとイブ説」を論破している。
それでもなお、聖書に信仰を抱き続けるにはどうしたら良いか?
それは、最初の生命の誕生説が、聖書によって擬人化されていると思えば良い。
つまり、聖書は「本当のことを例え話で説明した書物」だと思えば良い。
本当のことを知っているのは神なので、聖書は神から啓示を受けた人たちの物語か、あるいは、神から啓示を受けた人が例え話で書いた書物だと思えば良い。
それが本当なら、聖書には所々に真理が書かれていることになる。
(アウグスティヌスはそう思って、聖書を国に広めた。)
キニャールは恐らく、師レヴィナスと同じく正統派ユダヤ教徒だろう。
「初めに言葉ありき」は、よくキニャールが使う手法だ。
ただ、「初めに言葉ありき」は新約聖書のものなので、キニャールはキリスト教の全てを否定しているわけではないことが分かる。
当然、近代哲学の言語論は、新約聖書の「初めに言葉ありき」から始まったと考えるのが妥当だろう。