今、新約聖書のマタイ福音書を読んでいたんだが。

その7章の「人を裁くな」の所に、「神聖なものを犬に与えてはならず、真珠を豚に投げてはならない。」と書いてあった。

つまり、「豚に真珠」の語源は聖書だった。

ちなみに、「目から鱗が落ちる」の語源も聖書。

 

吉野圭さんが、キリスト教をどこぞの新興宗教と同じくらいダメなものだと言っていたが。

今、私が読んでみて、そんなことはないと思った。

少なくとも、私が今読んでいるマタイ福音書だけは、めちゃくちゃ納得出来る内容だなと思った。

もちろん、引き寄せの法則は、真理。

そして、引き寄せの法則の中には、類友の法則というものもあって、今関わっている他人たちの合計が、自分の潜在意識の投影だと思っている。

しかも、(私に起きた例の龍神様の件で、)大元の神様以外にも、高次霊の進化版としての神々(龍神さんやイエスさんなど)がいるということが分かっており、神々も概ね善人が好きで悪人が嫌いであり、主に善人である私たちを助けてくれることが分かっている。

そのことを鑑みると、やっぱり「ブッダの真理のことば」と「マタイ福音書」って、良い引き寄せを行うための真理が書かれているなって思うわけよ。

それらは、誰が最初に言った言葉なのかは知らないけれども、ブッダの言葉やマタイ福音書の元ネタを最初に述べた人は、恐らく神様から情報をもらっているはずだよ。

ただ、それはあくまでその人のための神託であって、全員がその神託に当てはまるかどうかは分からないけどね。

 

「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい」というのは、マタイ福音書

恐らくだが、天安門事件にて、戦車の前で何もせずに立ち止まって戦車を止めた男性は、そのような左の頬を差し出す覚悟があったのだと思う。

 

しかも、聖書ってちゃんと読めば、自己犠牲だけでなくて「自分のことも幸せにしなさい」って書いてあるんだよな。

有名なのは、「求めなさい。そうすれば与えられる。」という一節。

ただ、そこの箇所には「自分がされたいことは、他人にも施しなさい」とも書かれているが。

 

そして、「人を裁くな」っていう章は、決して悪を許せっていうことではない。

意訳すると、「そんな奴、裁く価値もないよ」っていうこと。

これが分からないと、その箇所の続きにある「神聖なものを犬に与えてはならず、真珠を豚に投げてはならない」の意味が繋がらないんだよね。

「あなたのエネルギーは真珠なんだから、そんな豚野郎にエネルギーを割いちゃダメだ」っていうこと。