完全に私の妄想で書くけど。

 

あの世についての解釈が、人によって違う理由。

それは、あの世自体がそもそも人によって違うから。

あの世は恐らく、この世よりも思考現実化の度合いが高いのだと思う。

この世では、大元の神様と一緒に現実を引き寄せているから、物理法則などといった、大元の神様による思考現実化に矛盾が起きない範囲で、かつ、神様が許した範囲でだったら、思考は現実化する。

でも、あの世はその制約がないから、もっと自由に引き寄せ出来る。

ただし、あの世では出来ないことがあって、それは、違うレベルの魂の人たちと関わること。

つまり、基本は同じグループの魂同士で関われるだけで、そうでないグループの魂と関わるためには仏様(と呼ばれる存在)を仲介しなくてはならないのだと思う。

そうなると、死後は人によって天国にも地獄にもなるわけだ。

ちなみに、自殺者の魂が孤独なのは、グループがそもそも見つからないからであり、だからこそこの世に留まってしまうのだと思う。

他にも、この世に未練がある人たちは、幽霊となってこの世に留まってしまう。

生前に傲慢な性格だった唯物論者の魂は、死後の世界(自分と同じ魂レベルの人しかいない世界に戻ること)を受け入れられないため、成仏出来なかったりする。

(たとえ自分が傲慢だとしても、他の全員までもが傲慢だと怖いしムカつくし嫌なのだろう。そのくせ、生まれ変わる際には神様から「今度はあなたがやられる立場になりなさい」と言われるので、怖くて生まれ変わりたくない。だから幽霊になってこの世で悪さをする。そんなことをやっているうちに、どんどん成仏からは遠のいてしまう。未熟だなあ。)

そして、次にまた生まれたいと思ったら、神様と話してどういう人生にするか、大まかな人生計画を立てて、親を選んだ上で、生まれるのだと思う。

 

ま、傲慢な人というのは、他人と比べて何かが優れていると思いたい人たちだ。

その「他人」が、比較対象が、あの世ではなくなる。

そして、原則として同レベルの魂同士でしか関われない。

自分の鏡みたいな奴と関わり続けることになる。

さぞかし、生前の自分を恥ずかしいと思うだろう。