以下は音楽における仮説。


音楽は自然とともにあるべきだ。


ところが、音楽にも好き嫌いがあって、その違和感と云えば、自然から乖離してしまっている感こそだ。

例えるなら、こう。

音楽が一つの流体作品だとする。

そして、全てが「理想流体」であるならば、「実在流体」から乖離してしまっていることになる。

実在流体にあって理想流体にないもの、それは「粘性」だ。

風力発電のブレードの周りを空気が流れているとしたら、粘性によって必ずブレードの終わりに小さな渦が発生して消えてゆく。

もし音楽がそういう「自然要素」の一部を排除してしまったとすれば、それは人間の本来持つ自然性が違和感を唱えるはず。

有機物ではなく、人工物なわけだ。

そして、その違和感を消すために、人は脳内から快楽物質を出してそれを打ち消そうとし、やがては依存性を持つようになる。(PCの電磁波のように。)


理論が神(直観や自然性)を殺している。

理論は神を活かすのが本来のはずなのに。


もちろん、これは独断と偏見によるただの仮説だ。

本当かどうかは分からない。


ちなみに、12音技法についての仮説は、こうだ。

12音技法は、やはり自然から乖離しているから、遺伝子に自然の情報が組み込まれた人間は、脳内に違和感が走る。

一方で、12音技法でしか味わえない、人間である以上、精神上必要な快楽がある。

それは、例えば人間が数学の美しさを知ることに似る、この世の掟を垣間見ることが出来るような快楽だ。

魂、もしくは遺伝子内に、文明の発達が予定されているのならば、こうした知見に快を見出すのは、人間として正常な反応だと言える。

それを、いかに譜面上で正しく伝えられるか。

このように、人間本来の目覚めを期待することが、芸術作品の使命の一つだと考える。


とまあ、これも仮説だ。

鵜呑みにしなくていい。

https://ksnovel-labo.com/blog-entry-1452.html

吉野さんの記事。

また自分のブログに貼り付けることとなった。

全文貼り付けたいので引用文はない。

 

へぇ、数秘術を信じているのか。

確かに、シンクロニシティというものは存在する気がする。

ただ、私の人生に限っては、あまりそういうことは起きない気がする。

なので、シンクロニシティを多発させている吉野さんが少し羨ましく思える。

https://www.asahi.com/sp/articles/ASM5X6HTMM5XULBJ01H.html

このニュースには驚いた。

アラビックヤマト(糊)で造血幹細胞を培養、つまりは、白血病治療に役立つという。

ポリビニルアルコールという成分で培養出来るらしい。

わが日本の東京大学が解明。

イギリス科学雑誌ネイチャーにも載るとのこと。

久々に良いニュースだ。

あなたの人生目標は?

https://astrology.kslabo.work/2018/09/beginnernovice7.html?m=1

吉野圭さんのサイトで良記事を見つけた。

「人生の目標」は、西洋占星術の「MC」で分かるらしい。


↓西洋占星術の計算機(あなたの誕生日を入れよう。)

http://happyrodents.net/horoscope/


ちなみに、私は山羊座28度。

https://sutakuro.com/2016/05/yagi298/

(たぶん、松村潔さんの本などからの引用だと思う。)


何がすごいかって、私の下の名前の意味と同じだったこと。

うちの親はこんな事情を知らなかったはず。

それなのに、私が生まれてからこの名を付けた所。

私の名前の意味は、見聞を開いて世の中を渡ってゆく、という意味。

山羊座28度と一致する内容。

Zeal Intenseっていう骨ネックレスのブランド。

マチュアらしいけど、なかなか良質なアクセサリーを作っている。

https://twitter.com/kh66QqUt7BR5PJ8/status/1106838407508946944

物は良いんだけど、ネット上に良い写真があまりなかったため、これで↑

 

私はビーバーの顔の骨で作ったネックレスを買ったことがあるけど、その当時は結構割安だった。

なんと、アメリカの草原まで行って、死んでいた動物から素材を採ってきたという。

(そういうことは詳しく公表しようよ!w アメリカでの写真も乗っければ証拠になるじゃん。)

また石川町駅に来てくれないかなぁ。

 

そういう私は、最近、お洒落なんて全く無縁の私服で出歩いている。

運動靴に安物のTシャツ、下はジャージかチノパンで、鞄の中には常に本が入っている。

(工房での作業に適した格好を、そのまま研修が無い日まで受け継いでいる状態。)

唯一のお洒落は、仕事の時に靴とネクタイピンがやや高級だっていうことぐらいか。

 

でも、こういうファッション系の記事を書くと口コミで広まる可能性がある。

今の私は、「物の良さ」を見る目までは失っていないつもりだ。

でも忘れちゃいけないのは、お洒落の前に、知的教養だけは磨いておかないといけないよ、ってこと。

その教養が無いなら、スポーツでもやるか、話術を磨くかして、明るく生きるといいんじゃないかな。