私が何で悪(陰湿な人間)に染まらなかったか。

それは、心の綺麗さを保っていると、良いことも沢山あるから。

かけがえのない友を、老若男女問わず作ることが出来る。

滅多にいない心の綺麗な友達だけを残しておきたいだなんて、私はもしかしたらミニマリストなのかもしれないな。

 

逆に、私がもし陰湿な人間に染まってしまったから、その良い人たちとの縁がだんだん薄くなっていって切れる。

表面上では分からなくても、良い人は基本、他人の性格の悪さに敏感だから、心からの付き合いが出来なくなり、ガードを固められて、やがて自分自身が人間不信になる。

そうなってしまった人は、この日本にも沢山いる。

それは何よりも嫌なんだ。

 

ちなみに言うと、心の綺麗な人たちは頭も良かったりするので、話が面白い。

なぜなら、(大脳辺縁系などの)脳が発達しているので、他人の気持ちを考えられるから。

そうやって、優しさを保っていると、頭の良さも鍛えられるのだと思う。

土屋健「白亜紀の生物 上巻」、読了。

(Facebook投稿記事)

 

土屋健「白亜紀の生物 上巻」、読了。

生物ミステリープロの7巻目です。

 

白亜紀は約1億年前と覚えられます。

 

さて、中国北東部の熱河(ジェホル)層群は、火砕流によって生物が保存状態の良い化石となったとされている、白亜紀の地層です。

そこは、羽毛恐竜の聖地でした。

(なお、鳥類は恐竜起源です。)

例えば、ミクロラプトル・グイは後ろ脚にも翼がある四翼の恐竜であり、また、メラノソームという細胞内小器官を解析した結果、羽毛は虹色をしていたことが分かりました。

 

また、卵泥棒の学名を持つオヴィラプトルは、実際は自分の産んだ卵を温めていた所を化石にされただけで、卵泥棒ではなかったことが分かりました。

 

レバノンには白亜紀の魚類化石が多量に産出されていました。

レバノンの海における「恐ろしき捕食者」と呼ばれたのは、条鰭類のエンコダスという魚です。

 

翼竜類では、アズダルコ類が活躍します。

ケツァルコアトルスの翼開長は10mです。

 

ヘビの祖先では、小さな腕のあるパキラキスやナジュシュが誕生します。

トカゲからヘビへと進化したそうです。

 

謎のある恐竜は、デイノケイルスがいます。

その名は「恐ろしい手」という意味のラテン語であり、長さ2.4mの腕の化石だけが、モンゴルのゴビ砂漠のネメグト盆地にて発見されたのです。

しかし、現在では他の部位が見つかったため、その全貌が明らかになりました。

 

日本からも白亜紀の化石が産出されています。

アンモナイトのニッポニテス・ミラビリスは、日本古生物学会のシンボルマークにも使われています。

なお、他の国でも白亜紀の異常巻きアンモナイトは多数確認されており、また、その異常巻きになるための過程にも考察がなされています。

 

日本生まれの恐竜では、フクイラプトルやフクイサウルスがいます。

手取層群は、福井県、石川県、富山県岐阜県に跨って分布する地層で、ジュラ紀後期から白亜紀前期にかけての4000万年間に堆積したものです。

また、兵庫県丹波市からは、丹波竜のタンバティタニス・アミキティアエが発見されています。

 

このように、白亜紀は皆さんがイメージするような恐竜ばかりの世界ではなかったのです。

 

https://www.amazon.co.jp/白亜紀の生物-上巻-生物ミステリー(生物ミステリー-プロ)-土屋-/dp/4774175404

マルセル・プルースト「失われた時を求めて 1巻『スワン家のほうへⅠ』」、読了。

(Facebook投稿記事)

 

マルセル・プルースト失われた時を求めて 1巻『スワン家のほうへⅠ』」、読了。
光文社版、高遠弘美訳。

 

第1巻だけを読んだ感想としては、正直、あまり面白さを感じることは出来ず、今の私にはピンと来ない印象でした。
ただ、この1巻が伏線となってこれから話が面白く展開していくそうなので、時を置いたらまた読み始めてみたい気もあります。

 

現在、光文社では6巻までの翻訳を出版しており、訳者は2年に1冊くらいのペースで完成させているようです。
原作は全部で13巻あります。

 

さて、20世紀初頭当時、出版社からは「主人公が眠りにつく前の寝ぼけ眼でうとうとしている時の回想や妄想の描写だけで30ページ以上にも亘る」と批判され、プルーストは最初、出版を断られたそうです。
しかし、この本を読めば分かることですが、畳み掛けるように言うならばこの第1巻の全てが「主人公が寝ぼけ眼でうとうとしていた時の回想話」という回想オチです。
つまり、全てが主人公目線の一人語りだったというわけです。
ネタバレだったら済みません。
ただ、話はここを起点として膨らんでゆくとのことなので、そういう意味では重要な巻となることでしょう。

 

ちなみに、副題にある「スワン家のほうへ」とは、主人公(名前は不明)が住んでいるコンブレ―地方にある実家からの散歩道のことです。
散歩道は主に「スワン家のほう」と「ゲルマント家のほう」の二つがあって、どちらも子供の頃の主人公が将来住みたいと思う場所を固定されるほど美しいと思った、二つの場所なのだそうです。
更に言うと、主人公はスワン家の嬢と、ゲルマント家のゲルマント夫人の、両方に恋心を抱いた経験があります。
(ちなみに、コンブレ―というのはこの本に登場する架空の地方です。)

 

主人公は貴族の出身です。

 

子供の頃の主人公は、母親がベッドにキスをしに来てくれることを切望し、そのために策を練るなど、可愛らしさと切なさを感じさせる描写も多くあります。

 

紳士のスワン氏は都会人じみているため、物事を断定口調で言わずに俯瞰的・客観的な意見を言う癖があるそうで、主人公からはスワン氏は自分のない人間だとやや批判的に書かれています。

 

また、ルグランタンという男性は貴族出身ではないのに貴族に憧れを抱いており、その口調からは時折文学の教養をひけらかすなどしたスノッブな面が強く書かれています。

 

そして、主人公は教会の「鐘塔」の美しさに対する執着心が強いです。

 

(引用、p.419~420)
そして、つい先ほど鐘塔を見て感じた喜びがますます大きくなったので、陶酔に包まれた私はもうほかのことを考えることができなかった。そのときである。すでにマルタンヴィルから遠く離れたところで振り向くと、もう一度鐘塔が目に入った。日が沈んだあとだったので、今度は鐘塔は黒々として見えた。ときどき、道を曲がると見えなくなった。それからもう一度姿を現し、ついにはまったく見えなくなった。
(引用、終わり)

 

なお、この「失われた時を求めて」はパスカルキニャールが愛読していたこともあり、キニャールの文章はプルーストの影響をかなり受けていることが分かります。
最後に、プルーストによって書かれたこの本にある、その美しい文章の断片をここに載せておきます。

 

(引用、p.355)
雨の滴は葉っぱのほうが気に入っているらしいし、地面もほとんど乾いたからである。滴たちは、いつまでも葉脈に沿って戯れたり、葉の先にぶら下がって、太陽にきらきら輝きながら、休息をとったりしていると思った矢先、枝の高みから滑り落ちて、私たちの鼻先に当たるのだ。

 

(引用、p.394)
瓶胴(カラフ)は川の水を一杯に詰めながら同時に自分も水に包まれている。固くなった水とでも言えそうな、透明な側面を持つ「容器」であるとともに、流れる液体の水晶でできているもっと大きな容器に入れられた「中身」よりはるかに魅力的でありながら――その感覚は固体の持つ固さを欠き、手で掴もうとしても掴めない水と、口に入れても美味しくない流動性を欠いたガラスの間で絶えず繰り返される頭韻法(アリテレーション)のなかに逃げ込むばかりだったので――どこか人を苛立たせるところもあった。

 

https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%99%82%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%A6%E3%80%881%E3%80%89%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87%E3%80%8C%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B3%E5%AE%B6%E3%81%AE%E3%81%BB%E3%81%86%E3%81%B81%E3%80%8D-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E5%8F%A4%E5%85%B8%E6%96%B0%E8%A8%B3%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB-%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88/dp/4334752128

「アゲ鑑定」っていう言葉が世の中に出てきたね。

 

二の宮占い堂さんは基本、超が付くほど現実主義を貫いているため、そういうことはないわけで。

いつもそうだが良いことも悪いことも忖度なしなため、そこが良い所なんだよな。

実際に動画を見た人しか分からないだろうけど、今この瞬間に私が考えていることを、たかがYouTube動画の選択肢ごときが超能力者レベルで当てて来るから。

 

ただ、サゲ鑑定する奴はもっと悪質なので、そこも注意だな。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14217403054

うちの師匠が言っていたけど。

今後、米中戦争は起きないだろうとのこと。

なぜなら、今までは中国にはロシアという強力な味方がいたのに、実態はロシアの軍隊が弱過ぎたことが判明したから。

そのせいで、今、中国はアメリカにビビっていて、むしろ媚びるようになってしまったとのこと。

となると、中国は前々からそうだったように、習近平派と江沢民派(江沢民は死亡しているが)での内部分裂が起きて、勝手に自滅するということも予想されるわけだ。

三峡ダムも、あれはいつか絶対に崩壊すると思うよ。

 

ただ、戦争のない平和なのは良いことだが、日本には南海トラフ地震が来るかもしれないという恐怖はある。

歳差運動の水瓶座時代×水瓶座冥王星

ダブル水瓶座時代。

それは今年の3/24からで、今年は冥王星水瓶座を行ったり来たりし、来年には完全に水瓶座へと入れ替わる。

あらゆるヒエラルキーがフラットになり、本物志向と、本質、本当の意味での平等(本当の意味での実力主義もそこに含まれる)の時代となる。

そのためには、何かデカいことが起きるのは覚悟しておいた方が良いだろう。

今の私のトレンド音楽

一番好きな音楽: Mark Solborgのフリージャズ

一番好きなクラシック音楽: メシアン

 

今の私のトレンドはこれ。

この二つは、耳にタコが出来るくらい聴いていても飽きない。

 

ただ、メシアンは難解なので、殆どの演奏者が良くないため、私もついこの間までは「メシアンってあんまり良い曲じゃないよな」とか思っていた。

演奏者は本当に選ばなきゃだめだと思った。

私のお勧めのメシアン演奏者は、ピアノだったら児玉桃、オルガンだったらHans-Ola Ericsson。

(ただ、ハンス・オラ・エリクソンは、バラ売りのCDを買うこと。同じ演奏でも、セット売りのCDの盤だと録音が劣る。)

 

廃人だなぁ。

ここまで音楽が好きだと、音楽好き以外の人たちとは根本的な感性が合わなくなって、廃人化する。

それを知的リア充だと言い換えよう。

 

昔の私はラヴェルが一番好きで、ラヴェルの楽曲は(欠損音源作品を除いて)全て網羅したからね。

でも、今やラヴェルよりも、ラヴェルの夜蛾の元ネタとなった詩を書いた、レオン=ポール・ファルグの文学の方に目覚めてしまった。

ファルグ、いい加減、誰か翻訳しろよ。

(ネット上には、ファルグの駄作の詩しか日本語訳されていないという。)

誰もやらないなら、私が水声社辺りに直談判しに行って、私が副業で翻訳家になるよ。

 

また、ジャズではSam Riversが一番好きだったので、これも(欠損音源作品を除いて)全てSpotifyで網羅したからね。

Spotifyになくて、CDにもされていないものは、わざわざレコード盤を買って、それを師匠の家にある装置でCDに焼き直したこともある。

しかし、今やジョン・コルトレーンの後期作品の方が好きだ。

三木俊雄先生がブログでディスっていたコルトレーンの「Om」だって、私は師匠の別荘のクレデンザ(電気蓄音器)で聴いて感動したからね。

同じジャズ好きでも、三木先生とは根本的に相入れない感性の違いがありそう。

ただ、三木先生が私の大学時代に教えてくれたWalter Smith ⅢのCDによって、Sam Riversを知ることが出来た。

ちなみに、Walter Smith Ⅲの「Casuary Introducing」は私も暗唱出来るくらいかなり好きなので、そこら辺までだったら三木先生とは話が出来そうだが。

そして。

Mark Solborgを聴いてしまったら、そのジョン・コルトレーンでさえもただの古典にしか思えなくなった。

古典っていうのは、新しいものの土台であり、踏み台でもあるんだよ。

 

 

ちなみに、私の師匠は、一番好きで飽きないのはシューベルトだそうだ。

(演奏者は、クラウディオ・アラウニキータ・マガロフなど。)

まあ、飽きないという観点から見ると、分からなくもないが。

ただ、彼は、現代音楽やフリージャズに関しては、本当に身体が受け付けないらしい。

彼は自分自身のことを「理系の勉強しかやって来なかった単細胞」だと称していた。

(そのくせ、彼はシュタイナーやスウェーデンボリなどの古典スピリチュアル書籍を読み漁っていた時期もあるんだよなぁ。それなのに、フリージャズが好きではないのか。)

不成就日だから新しいことはやらないけど。

なんか、久しぶりに「音楽が好き!」っていう気持ちを思い出した。

 

師匠の研修とか、仕事での自分に課すクオリティの度合いとか、慣れない数学の本を読解していく趣味とか…

もうね、全部「高い山を登る」感じがしていて、モチベーションがあってもなくても関係なく、やっぱり身体が疲れて来るんだよ。

脳の疲れは、身体の疲れに直結する。

 

楽家で成功している人って、結構、普通にいる。

オルガニストの石丸由佳さんとか。

あとは、私の知り合いでもあり、BSの歌謡曲番組に毎週出ている山元香那子さんとか。

みんな、自分の本業の収入だけで食っている人たちなんだよね。

 

学生時代からの刷り込みで、音楽家って食えないイメージが強かった。

でも、実際は、他の人たちには必要ないクラシック音楽の勉強でも、今の私の人生ではすごく役に立っている現状。

今考えてみると、他の人にとっては食えない・必要ないことでも、私の人生には必要なことって沢山あったよ。

 

私は数学なんか出来なくったって、食って行かれるんじゃないか?と思えて来たよ。

というか、「食っていく」っていう面で見たら、今更ながら確かにそうだなと。

私のスペックはどちらかというと記憶型なので、論理思考ってあんまり向いてないんだよね。

(「向いてないのに好き」これは最高の組み合わせだと、ゲーム王の梅原大吾さんは言っていたが。)

ただ、今だから出来ることっていうのがあって。

将来歳を取った時に複雑記憶が出来なくなると、一生、数式が理解出来ない人生になってしまう。

まあ、今読んでいる吉川敦「フーリエ 現代を担保するもの」は、途中で躓きそう・詰みそうになる危機を何度も乗り越え、分からない所は何度も読み返したり、数式の意味をスマホで調べて一時的にそちらに時間を割いたりしながら、何とか順調に読み進めていて、やっと3章に入るかなといった所。

とりあえず、gradとdivだけは分かるようになった。

前者はスカラーで、後者はベクトル。

しかも、よくあるラウンド二乗のあの式って、divかけるgradのことなんだよね。