もしかして、私の記事を読んで「自分はクズだから、子どもを産むのはやめておこう」なんて思ったりした人いる?

逆だよ。

不特定多数である全ての人を応援しているから、本当のことを言っているんだよ。

私の書いたことは、知らないよりは知っていた方が良いだろう。


もし引き寄せの法則を信じる人がいるなら、「Happyちゃん」の動画を見た方が良い。

自分が今、何者かなんてどうでもいい。

夢を描いたら、その叶える方法については考えなくていい。

本当かどうかは知らないが、そういうことを言っている。

しかも、Happyちゃんの読者で、転職などのプチ成功した人たちが既に出ている。


あと、過去悪いことをやってしまった人だって、その時は今の私の記事を読んだわけでもないんだから、気付くのはほぼ不可能だったはずだよね。

レインボーまりなちゃん曰く、被害者と加害者というのは運命で決まっている。

生まれる前に立てた人生計画の通りに起きただけ。

被害者の人たちは覚悟決めて生まれて来ている。

そして、生贄にされたタエの証言によると、死後の世界は「気持ちいい」とのことで、死後は誰でも幸せになれるので、辛い人は今だけである。

ただ、何が言いたいかというと、それでも「今から悪いことをやろう」という気にはなれないだろうってこと。

なぜなら、悪い人というのは恐怖心を持っていることを、下手したら前世レベルで恐怖心を持っていることを、あなたは既に知ってしまったから。

私と出会った時点で、もうそれを知ることは決まっていたから。


私は死後、神様から「本当は世の中に理不尽なんてないんだよ」と言われるような気がしてしょうがない。

理不尽なのはこの世だけの価値観であって、あの世や来世を含めたら、理不尽なんてないと思う。

世の悲惨な事件を理不尽だと感じる心は、初期設定で持っているコンパスだから、そのコンパスが良いと思った方向に進めばいい。

もし世の中が理不尽ならば、人はこれだけ生殖を繰り返しているのに、未だにそんなコンパスが初期設定で備わっているはずがないと思う。

レヴィナスはその初期設定で備わる神性のことを、デカルトに因んで「無限」という言葉で表わしているが、レヴィナスの霊的感性マジですげえと思った。

キニャール「秘められた生」、読了。

(Facebook投稿記事)



パスカルキニャール「秘められた生」、読了。


作者もそうだが、この本の翻訳者であり解説も書いた小川美登里さんというのは本当に頭の良い人なんだと改めて思った。

水声社の本は、とにかく作りが丁寧。

なお、この本はあとがきを含めると513ページもある上に、内容も難しいので一文一文を数回読まないと頭に入って来なかった。

先に解説から読むべきだったと思う。

翻訳者は「この解説を書くのに、色々な人の助けを借りて、粉骨砕身の苦労をした」と書かれているから。


以下、内容について。


「愛」の本質が「別離」に存するという命題のもと、秘められた生という、愛を巡る長い探究。

我々は母親の母胎から別離し、誕生する。

それと同じく、天国の門の外へと足を踏み出すアダムの姿は、原初の世界(かつての愛)から追放され、第二の世界(誕生)へと墜落する我々の姿に重ね合わせることが出来る。


蠱惑とは、手に入る所にあるのにあえてそれをせず、じっとそれを見つめてしまうこと。

欲望とは、手に入らないがゆえに、それを欲し、それについて考えてしまうこと。

蠱惑と欲望は、対立する。


作者曰く、本当に愛する人の裸体を目の前にすると、一瞬、性的欲望がなくなり、何か形而上の欲望が芽生えるというのだ。

このことから、愛と性欲は対立するという。

なぜなら、その時二人は、かつて母胎から切り離された瞬間の喪失感を思い出しているから。

また、愛する人に対しては、やがて言葉よりも沈黙を欲するようになるという。

言葉と沈黙は、対立する。

言葉は社会的なものである。

沈黙は愛が求めるものである。

ゆえに、愛は社会に対立する。


蠱惑(fascinatio(ラテン語))とは、「勃起した男性性器と、筋肉の攣縮に襲われている最中のこの男性性器の不意を襲う眼差しとの間に成立する関係」のことから発祥する。

つまり、蠱惑とは元々、男根に惹きつけられる気持ちのことを表わしていた。


一方で、欲望する(désirer)とは、「星宿(sidus(ラテン語))を見失い、それを求める」ことに発祥する言葉だ。

蠱惑は星を凝視しているのに対し、欲望は星が不在なのである。


音楽とは、芸術の中で最もアルカイック(古風)なものである。

音楽の根幹を成す聴覚は、視覚を未だ授けられていない胎児の状態へとタイムスリップさせる。

筆者はネミー・ザットラー(仮名、女性)に音楽を師事し、かつ恋愛関係でもあったが、そこで愛が他性への開かれであることを、音楽を通じて理解することになる。

(他性レヴィナスが提唱した言葉で、自己とは異なる他者の異質性や特性のこと。)

なぜなら、愛とは他人を自己に取り込もうとし、かつ他人の中へと自己を入り込ませようとするものだから。

誕生時の母胎からの別離の悲劇的感情を、音楽という母胎は思い出させる。

それは愛も同じで、愛の悲しみは母胎からの別離に由来するのかもしれないという。


ネミーはヴァイオリンのレッスン中にこう言った、

「デザートスプーンの背中を使って進まない」

これは、音を無作為にかき鳴らすことへの表現らしいが


https://www.amazon.co.jp/秘められた生-フィクションの楽しみ-パスカルキニャール/dp/4891769963

(Facebook投稿記事)



誰か弱い者をいじめてやりたい気持ちを持っていると、そういう人を引き寄せてしまい、その中で上手くやっていかないと、やがて自分が犠牲になる。

これは被害者の本人視点。

特殊な心の訓練を積み重ねなければ、誰でも被害者になり得るよ。


ただ、我々のような周りの人間の視点では、義憤や正義感で「必ず正義が勝つ」と信じる波動を持つべきなんだよね。

その波動は心地良いから。

正義感を持っているせいで悪いことを引き寄せるってことは、純粋にはないかな。

レインボーやクリスタルのチルドレンよりも下のレベルの魂だと、善悪はあるんだよ。

だから皆、わざわざ地球に転生してきたわけで。


いや、そう言っておかないと、水瓶座冥王星の時代に乗り遅れるからさ。

これからは、個人を大事にする時代。

簡単に言うと、権力などの長いものに巻かれている人たちが、これからどんどん負け組に転落するから。

また、極端に言うと、今の加害者が50年後もそのままお咎めなしってことはない。

加害者側も、何かしら人生単位で駄目にしている。

結婚して子どもが出来れば、子どもが言う事を聞かないだけで常時殺意がムンムンだろうし、夫婦とも他人への愛がなければ幸せな家庭は作れない。

というか、もっと露骨な制裁も喰らうことになると思う。


あの世では、誰でも幸せになれる。

ただし、あの世では自分の中の加虐性だけが幸せを阻んでいる。

それは、潜在意識を辿っていくと、神との繋がりを妨害するから、今世でも加虐性は不幸のもととなっている。

だから、わざわざ地球に生まれて、「今世は被害者になって、他人の痛みが分かるようになろう」と覚悟を決めて生まれてくるわけ。

私は、旭川いじめ殺人事件に関しては、加害者の特定と社会制裁をすることに協力する。

とりあえず、主犯の女は「中尾まほ」、自慰強制変態男は「ふうた」というのは確定。
 
レインボーまりなちゃんは「宇宙に善悪なんてない。地球では皆、恨みを持ったり変なことが起きる。他の星ではただ皆が好きなことをやっているだけ」と言う。
室田泰文さんも偶然同じことを言っているが、恐らく宇宙人時代の前世の気持ちを思い出したのだろう。
ただ、レインボーやクリスタルのチルドレンでない人には、善悪はあるんだよ。
だから、わざわざ地球に生まれて来たんだよ。
そして、自分がもし加害者になってしまうと、あの世では「今度は被害者になろう」という思いが自動で湧くようになるんだよ。
いや、私の場合、ちょっとでも他人の不幸を悦ぶ心が芽生えただけで、「今度は被害者になろう」という思いが潜在意識に自動で湧き続ける。
(潜在意識の調べ方としては、どこにピントを合わせたら心地良い感じがするかを辿っていくとそうなる。)
それは、他人の痛みが分からない限りは、幸せな状態にはなれないからだろう。
 
あの世では、誰でも気持ちの良い状態になり、誰でも幸せになれる。(タエの証言より)
ただし、あの世においては、自分の中の加虐性だけが魂を不幸にする。
 
本当の幸せな感情と、偽物が混じっている状態の幸せな感情は、質が全然違う。
前者は心が軽く、恐れがない状態であり、自分を本当に生きているといった感じで、今の私の場合だと芽生えてはすぐ消えてしまう。
後者は、眉間の辺りに重苦しいオーラが漂っていて、全体的に曇っている感じで、今の私のスタンダードがこれだ。
後者の場合、慢性化するとそれが不幸であることに気付かない。
しかも、その不幸な状態のまま快楽だけを求めたりする、快楽ジャンキーと化したりする。
それは、不幸である。
 

女を多く食うことを引き寄せても、幸せにはなれない。

また、一番ムラムラくる女と結婚しても、そこに無償の愛がなければ、幸せにはなれない。

なぜなら、結婚しても嫉妬に狂う人がいるし、また、相手に飽きて浮気をする人がいるから。

その人が引き寄せるべきは、他人に対する無償の愛である。

自分がそういう風になれば、そういう人を引き寄せるからだ。

今の世の中を牛耳るリア充志向は、他人に対する恐怖と不安から発生したものだと断言する。


愛情を感じないまま育った人は、性欲過多になりやすい。

脳が癒しをそこに求めるからだ。

その性欲が、タバコや酒などの形而下のものや、芸術などの形而上への欲望にもすり替わることが出来る。

女を食った方が勝ちだと思っているリア充志向は、実は育ちの悪い人たちの価値観であり、未来に生まれる自分の子どもを愛しているからではない。

育ちの悪い人は、それを形而上への欲望に昇華させれば、生きやすくなる。


社会に対する慢性的な恐れがあるから、自分よりも不幸な人に対して優越感が芽生える。

その優越感を消してみれば、そこに残るのは恐れである。

それを理解することによって、その恐れは消えていく。


私の経験上、ここに書いたことは全て本当のこと。

これは、既存の価値観をまず破壊して、皆で幸せになりましょうという意思で書いている。