『はじめての三国志』kawauso氏の捏造記事について。目的は何か? - 三国時代の話・その他、歴史|隆中譚
吉野圭さん、ありがとうございます。
私も拡散して行こうと思います。
吉野さんみたいな優しい人は、この世の中では孤独を感じやすいかもしれませんが、世の中には良い人もたくさんいますよ。
私とはご自宅が近いみたいなので、いつか会えたらなどと勝手に思っています。
(ただ彼のブログ見たら、「ネットで知り合った方と実際にお会いすることはできません」と書かれていた。私は劉備じゃないから三顧の礼でもダメかもしれませんね。)
私は今日も「良い人」と会って来ましたよ。
元住吉のバルクギアという喫茶店はもともと席が一つしかないので行くか迷いましたが、結局店の人が笑顔で出迎えて下さったので入りました。良い感じの人でしたね。
元住吉はおすすめです。たぶんですが、悪い人があんまりいない印象があります。
(引用)
諸葛亮ファン・蜀ファンの方々へ、メッセージ
もし数々の捏造話や批判に騙され、
「諸葛亮は悪い独裁者で、劉備との信愛も嘘だった。今まで信じていたものは全部ウソだったのだ」
と信じ込まされて落胆しているなら、今すぐ昔の信念を取り戻してください。
大丈夫、あなた方が信じていたことの本質は真実です。
確かに、『三国志』にはたくさんの嘘があります。
諸葛亮は魔法が使えませんし、風も呼べません。神算鬼謀でもありません。能力は平均よりも少し上くらいの凡人、たいした仕事もできません。臨機応変が苦手で詰めが甘いかもしれません。
(これらのことを信じていて、それを理由として孔明ファンになった方には残念ながら「史実だ」とは申し上げられませんが)
しかし、たとえば吉川英治が『諸葛菜』で書いたことはほぼ史実。
特に
「彼がいかに平凡を愛したかは、その簡素な生活にも見ることができる」
「その人間を観るときは、実に、愚ともいえるほど正直な道をまっすぐに歩いた人であった」
は、間違いなく史実です。
決して天才ではなく善良というわけでもなかったはずですが、ごく平凡な人間として正直ではありました。
また、劉備が諸葛亮を愛したことも事実です。二人の信愛は間違いなく、現実としてこの世に存在しました。
――末尾の太字の箇所は私の異次元の感覚をもってしか証明できないのが申し訳ないのですが。人間として真っ当な感覚を持つ方になら、記録文からでも必ず伝わると信じています。
(引用、終わり)