誰かに危害を加えなければ、何を信じようが自由だ

また陰謀論者がスピ批判している。

 

まったく、うるせえやつらだな。

だからお前らの資金源を言えって書いただろうが。

もし宗教団体からお金をもらっているならば、あなた方陰謀論者が批判しているキリスト教のおこぼれを貰っていることになる、というジレンマを抱え続けるんだよ。

 

それとさ、スピにも色々あるんだよ。

詭弁さんの記述読むと、これが悟りに入るための入り口なのかなって思うし。

(詭弁さんいわく、悟りなんてものは願望達成を諦めた者の逃げ、だそうだ。でも読んでみるとこの人は色々叶えすぎてもうそれが当たり前になってしまい、人生の願望達成ゲームを降りたような人だけどね。)

 

いいじゃないか、「思考の現実化」ぐらい信じていたって。

そんなこと言っている宗教は他にもあるだろう?

陰謀論ってのは、そう思えばそう思うほど、それらしき証拠を引き寄せ続ける。

(ちなみに、人はそれを「たまたま」だと言う。科学者はそれを「脳の錯覚」だと言う。)

 

この人たちの本当の狙いはね、自尊心を埋めてもらうことなんだよ。

社会で成功しないで諦めたから、宗教マニアになって政治のことをぼろくそに言うっていうこと。

彼らはもとから人助けのために書いているわけじゃないんだよ、きっと。

下手したら、在日特権が崩れるのが怖いから、安倍晋三おろしを始めたのがきっかけかもしれないね。

 

情報にオリジナリティなんか求めてない。

誰かの引用でもいい。合ってればそれでいい、ってのが情報だ。

 

つまり、無記なら無記でいい。

問題は、スピリチュアルをきっかけに始めたオカルト研究している者までも、全部フマキラーで潰そうとしているところ。

なぜ陰謀論者がそこに寛容になれない?この手の話になるといつもピントがずれる。

たとえば、宗教団体から資金をもらって何かを書いているのが批判対象だったはずなのに、「あなたの宗教(つまり考え方)が悪い」って言って、いつの間にか考え方の違いの話になるんだよ。

で、スピ信者ってのはそういうやつの餌食になりやすい。知識を必要としないからね。

でも、人は何を信じようが自由だ。

だから俺はそう書いておく。何を信じようが自由だと。