今、正倉院宝物展が上野で開催されている。
そんなわけで、正倉院宝物についてのメモ。
 
白瑠璃碗(はくるりのわん)は、ペルシャから伝わった。
 
螺鈿八角鏡(へいらでんはいはっかくきょう)は、琥珀の花弁にトルコ石などをはめ込んだもの。ベースは紫檀
唐が作ったもの。唐は当時世界最高峰の力を持つ国だった。
聖武天皇は唐の宝物を愛した。
 
銀薫炉は、香を水平に保つしくみが施されている。
 
鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)は、唐の女性がモデルになっている。
樹下仕女図という唐の作品の模倣品でもある。
 
白村江の戦いは、倭が百済と組んで唐・新羅と戦って惨敗した戦争。
その後、倭→日本、大王→天皇へと名称が変わる。
聖武天皇は、内匠寮(たくみりょう)という寮に職人を集めて、国の権威を示すために放物を作らせた。その結果、正倉院宝物の9割が国産。
 
螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)は、唐製。
螺鈿とは、紫檀にヤコウ貝をはめ込んだもの。
紫檀は、東南アジア産。
当時の日本では紫檀が手に入らなかったため、その琵琶を模倣した琵琶を日本で作った際は、楓を蘇芳に染めて作った。
 
礼楽は、政治に利用された音楽。当時の日本は、音楽を政治の式に利用して、官僚同士の一体感を生んだ。
笙・磁鼓・漆槽箜篌(うるしそうのくご)などが使われた。
752年の大仏開眼供養会ではその音楽が奏された。
その時は聖武上皇が取り仕切ったが、その4年後に聖武上皇は死去。
夫の死を悲しんだ光明皇太后は、東大寺の大仏に聖武上皇の宝物を献上し、それが同じ東大寺内の正倉院に保存された。