映画ドクトル・ジバゴの感想。

(Facebook投稿記事)


師匠の家で、映画「ドクトル・ジバゴ」を見ました。

ロマノフ王朝からレーニン政権に変わる時期に翻弄されたロシア人ドクターの話です。

3時間半の上映であっても内容に引き込まれてしまい、普通に見られてしまいます。

(映画「ハムレット」を1時間で飽きて中断した私が言うのだから間違いないはずです。)


ユーリ(ジバゴ)という名の医者が主人公であり、彼は詩人でもあります。

彼はラーラという愛人のことを詩に残して出版し、映画の初頭にその二人の娘であるトーニャが登場します。

(紛らわしいですが、ユーリの本妻の名もトーニャです。)

飢えで苦しむ民衆は私腹を肥やすブルジョワに対し、命を散らしてまでして王朝から政権を奪還するのですが、その結果として革命が成功し共産主義国家になってからは、民衆にとって更なる地獄と化しました。

ボリシェビキに熱心な加担をする真面目な貧乏学生だったパーシャ(ストレルニコフ)は、レーニン政権下では出世しますが、思う存分虐殺を楽しむ冷酷な人間となってしまい、最後は嫌疑をかけられ処刑される寸前の所で拳銃自殺をします。

なお、パーシャはラーラの夫(戦争で生き別れたので元夫?)でもありました。

そして、最初は悪役として出てきたコマロフスキーという弁護士が、最後は助けてくれます。

結局、ユーリは心臓が悪くて死んでしまい、愛人のラーラも獄中で死んでしまい、最後に娘のトーニャだけが真っ当な人生を送るということになります。


原作者は詩人のボリス・パステルナークです。

私は元々パステルナークの書く複雑で高尚な詩をかなり評価していたので、この映画を見たいと思ったのはそれがきっかけでした。

王朝にも共産主義にも傾倒せずに、そのどちらも酷いと作品の中で吐露し、自身の素直な心を人生単位で貫いたパステルナークは、詩人としての才能もですが、人間としても尊敬に値するものがあります。


劇中で共産主義者のストレルニコフが言った、

「君の詩は、昔は好きだった。しかし、今は違う。君の詩は個人の主観が強すぎる。個人なんてものは存在してはいけない」

というのを聞いて、私は谷川俊太郎の、

「まじめなひとが、まじめにひとをころす。それはとても、おそろしい」

という詩の一節を思い出しました。