次の本が届くまでのクッションとして、一時的にハイデガー存在と時間」をペラペラと読んでみた。

これ、ドイツ製品を扱う職人は全員読んだ方が良い。

ドイツ人の「もの」に対する考え方がすごく分かる。

ドイツ人のものづくりの精神は、ここから来ていたのかっていう。

 

ドイツって、「使う用途のない道具は、道具じゃない」っていう考え方なんだよ。

「人間の下に道具がある」っていう主従関係がきっちりしているんだよね。

まるで、キリスト教では「人間の下に動物がいる(例えば、動物は生贄に捧げても構わない)」という主従関係がきっちりしていたことの延長上みたいに。

逆に、日本は縄文時代からのアニミズムによって、「道具にも魂が宿る」と考えており、もちろん全くその通りに考えていないとしても、何となく薄っすらとそういう文化が残っているんだよね。

だからこそ、日本人は「無意味な物」も大事にするんだろう。

 

ただ、ハイデガーは処方箋も書いていて、「人間は道具になってはいけない」とも言っている。

これは、1954年の「技術への問い」に書かれている。

ちなみに、「人間が道具化しないためには、人間は詩人のように生きるべきだ」とも言っている。

ただこれ、1940年からの道具論の集大成を1954年に発表したらしいので、もしかしたら反ナチスの考え方を1940年の時点で既に心の中で確立しており、タイミングを見計らって発表したんじゃないか?とも思える。

 

ちなみに、そんなドイツ的な考え方に嫌気が差したドイツ人たちが、日本のアニメ文化に心を逃避させている例は沢山あると思う。

日本の考え方の方が、本能に忠実なのだと思う。

まあ、縄文時代の方が、ずっと歴史が長いからね。

西暦が始まってまだ2000年ちょいしか経っていないけど、縄文時代は1万年以上続いた文化なので、単純計算でもあと5倍はある。

(もちろん、1万年前にも西洋人はいたけど、あっちで争い、こっちで争いの繰り返しで、結局一つの文化が長く続かなかったということだ。)

アニミズムや、皆で何かを分け合う精神は、本当は人間の本能に忠実なんだろう。