ステファヌ・マラルメの詩「Surgi de la croupe et du bond」を訳しました。

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ステファヌ・マラルメの詩「Surgi de la croupe et du bond(スルジ・ドゥ・ラ・クループ・エ・デュ・ボン)」を訳しました。


ラヴェルの歌曲にも採用された詩です。

なお、本来の詩の題名は「Ⅱ(無題の2作目)」となっており、渡辺守章訳でもそうなっています。

しかし、歌曲の題名は「『ステファヌ・マラルメによる3つの詩』より~臀部より出でて、ひと跳びで」となっており、そちらの言い方のほうが有名なようです。


自分で訳してみて改めて思ったのは、日本のフランス文学界の権威であろう渡辺守章訳がいかにクソ訳かが分かったということです。

あんなものを読んだ所で、マラルメの詩について理解できるわけがありません。

訳者自身が意味不明なままそれを推敲する時間も割かず、難しい単語を並べ立てることによって張りぼての権威だけは主張して出版に至るという。

ということは、岩波文庫という会社は基本、権威というものに弱く、物事の本質を見抜けず、人を見る目がなかったということも充分に考えられるでしょう。


ただし、私のこの訳でさえも間違っている可能性はあると思います。

なので、そういった正しい批判があるならば、むしろ意欲的に受け付けております。

なお、梅丘歌曲会館というサイトによるこの詩の訳でさえも、フランス語原文と照らし合わせてみると文脈的に怪しく「無理をしたな」と思われる部分が多い気がするため、私は現時点にて信用するには至っておりません。


(本文)


脆いガラス製品の膨らみから

弾みながら飛び出て来て

激しい警戒心の花も咲かせずに

気付かれることもなくその頸は折られるの。


私は二つの口から飲まれることはないと確信しているわ

恋人も母親もないのだから、

夢物語と同じことは決してなく、

シルフである私はその冷たい天井へ!


赤裸々な花瓶に飲み物はなく

あるのは尽きることない寡の時代なのに

受け入れられずに瀕しているの。


純粋な口づけなんて、とてもおぞましいわ!

死ぬことを知らせてくれるような

闇の中の一本の薔薇すらないのだから。

よく「痩せたい」とか「太りたい」とか女は言うけど、お前を好きな気持ちがそんなことで変動するわけないだろって。

私はどっちかというと太っている方が好きだけど、痩せていたらそれはそれで賢者タイムの時に抱きしめたくなる。

ただ、後者は好きな人に限るが。

とにかく、私が好きな人のその身体が好きなんだよ。


ある程度の所まで仲良くなっておきながら、そんなことで「好き」が変動する男は、魔性の男だから。

もうね、易占やタロットでどんなに悪い結果が出ても、自分が心から望むことは叶うって思った方が良いよ。

易占やタロットに依存する、その心こそが引き寄せを遠ざけているんだよ。


↓おすすめ。

この人、ちゃんと前歯を出して喋っているから、言っていることは全部本音なんだろうな。

この人は中学の時にブスから可愛いに変化したという二つの写真を見せていたけど、やっぱり本物の引き寄せマスターってちゃんといるんだよ。

https://m.youtube.com/channel/UCAKJM0HKzVUKSJ6o0KpZ8Ng


要するに、悪いことが起きたり、易占とかで悪い結果が出るってことは、波動が良くないんだよ。

(波動としか言いようのない現象が。)

悪いことが起きたら、かなりの良いことが起きる前の前兆だと思えば、波動が変わる。

波動が変われば、その波動に見合うことしか起きなくなるってこと。


・周りに感謝すること

・自分を大切にすること

・自分の生きたい生き方を明確にすること

自作詩「雨の樹素描」

(facebook投稿記事)


自作詩「雨の樹素描」


青翠色の透ける傘に潰された

雨と穿たれるヘッドライトの光束

亜麻色の髪と旧式の電灯に煌めいた

画素の儚さと夜の匂いの休息


打ち付けられ耐えながらも滑滑とした

鎧戸のする寡黙な瞑想と観測

亜麻色の髪と旧式の電灯に煌めいた

画素の儚さと夜の匂いの休息


星周りの描かれたカーテンを覆った

羊たちの眠るその身体に閃く

鈍角により調律された月の沙汰

亜麻色の髪と旧式の電灯に煌めいた

易占の本当の使い方。

とりあえず、易占の例を挙げる。

○さんとは、もちろん例の新しいお弟子さんのこと。

 

「○さんと俺が、一切の妥協なくお互いがお互いを理想の恋人であると心から思えて、お互いにこんなに幸せでいいのかと思える結婚をして、その幸せな思いがずっと続く結婚が、今のまま自然な流れに任せたら出来そう?」

→かてんたいゆう2

 

易占の使い方は、基本、こういう同じ質問を繰り返すこと。

なぜなら、今の自分の心が引き寄せの法則を発動しているため。

つまり、やり方としては、その都度引き寄せの状態が良いのかどうか確認するために易占を使うことだ。

 

ちなみに私の場合、この質問にて最初はてんざんとん4が出た。

てんざんとんの4爻は、「好み愛するものがあっても逃げろ」ということ。

ここで、神様は決して諦めろと言ったわけではないことに注意。

結果から言うが、私の場合だと、ムッチリした体育会系の女の子たちへのインスタのフォローこそ、好み愛していても逃げろ、ということだった。

話の続きだが、次に「じゃあ、○さん以外への欲情はやめればそうなれる?」と聞いたが、それもすいざんけん2だった。

つまり、「自分の心の欲情くらいは許可しろ」という意味だ。

欲は捨てなくていいし、自分の欲ぐらい自分で肯定しろってこと。

そして最後に、「じゃあ、とりあえずムッチリ系の子たちへのインスタのフォローをやめれば、そうなれる?」と聞いたら、かてんたいゆう2だった。

なので、即行でその子たち全員へのフォローを取り消した。

それをやったのだから、結果はかてんたいゆう2である。

 

そんなことで良いんですか?って、良いんだよ。

バタフライエフェクトを利用することは、引き寄せの法則の一つのメソッドだと思う。

ちなみに、易占で良い結果が出たのに叶わなかった場合は、記録を更新されるくらい好きな人とそうなれるから安心しよう。

(前もなみちゃんという喫茶店の店員の時に、そうだった。その通りに行動した際、不思議と何の未練もなく断ち切ることが出来た。そして今、そのなみちゃんよりも好きな子がこんなに近くに現れている。)

だから言っているだろ、神様は私やあなたを幸せにしたいんだってこと。

何だろう。

ある時は私のことが好きで、ある時は私のことをただの良い友達(先輩)くらいにしか思わないという人。

それは、たとえ心で思っていても、言動にまで現れてしまうのはどうだろうか?と、甚だ疑問に思えてきた。

せめて言動だけは、筋を通すべきなのでは?

なんか、私の勘違いや被害妄想なのかもしれないけど、あの子のその言動の蓄積から薄っすらと「魔性臭」を導き出した感じ。

 

また、我がままな女に振り回されるのか?

そういう人生とは決別したい。

 

でも、もしあの子が魔性の女だとしたら。

もし、今の私の周りにそういう人が現れているのだとしたら。

それは、私自身が「魔性の男の心」を少しでも持っているということだ。

それにより、引き寄せの法則が発動して、そういう人間を周りに引き寄せているという。

 

なので、スピリチュアル的な解決方法はこれだ。

自分の中から、魔性の部分を完全に消すこと。

そうすれば、人生が変わる。

だって、誰だって好きな人からは愛される人生を歩めるように出来ているのだから。(「誰だって」と書いたが、もちろん地球上の全員がそうだとは限らない。しかし、少なくとも私のこの記事を読んで信じている人はそうであるはずだと思う。)

せっかく引き寄せの法則を研究して、この境地にまで辿り着いたのだから、とりあえずあの子のことは置いておいて、自分の心だけでもそうしようと思う。

成功者がよく言う「過去に囚われるな」というのは、本当はそういうことを言う。

過去に我がままな女に振り回されたからといって、次もそうなるとは限らないし、なってはいけない。

 

なぜ引き寄せ界隈には、努力もしないブスの人たちが多いのかって?

それには、恐らく二つのパターンがある。

一つは、旦那にだけはめっちゃ愛されていて、他の男からは好かれない顔立ちになってきているという、本物の願いを叶えているパターン。

そういう場合は、ブスでも美しい何かを秘めている顔立ちをしている場合が多く、性格の良さが如実に姿形に現れている場合であり、見ていて不快を感じさせない何かがある。

もう一つは、欲ばかりが暴走して、本当の愛を見失っているパターン。

それは、間違った引き寄せの教科書に依存しすぎの場合であり、神の意志を誤解している場合。

神は、私やあなたを幸せにしたいと、常に思っている。

だからこそ、心の汚さを掃除するために敢えて困難を背負わせる場合があり、それは生まれる前に立てた人生計画にて本人も分かっていてそうなっているという、いわばカルマである。

神は、輪廻転生も計算に入れた、本物の幸せを提供してくる。

でもそれは、本人が気づいて軌道修正すれば、だいたい心願は叶うように出来ている。

ちなみにその「本物の幸せ」というのは、仏教のいう「全部諦めろ。そうすればないものねだりをせずに消去法で幸せになるだろう」という偽物の幸せではなく、本当に幸せだと感じられる状態がずっと続くことを言う、そのままの意味である。