前回の記事の補足。
カルマについて、誤解を与えたかもしれないので。
私が、「あなたが今苦しいのは、今世か前世か、前々世あたりのあなたが悪い事を行ったから、今そのようなことが起きたのだ」と発言してしまったように受け取られたとしたら、申し訳ありませんでした。
カルマについては私の頭ではわかりませんが、この世に生まれてくるための絶対法則だと思っていて、宇宙はそれについては完璧に計算されたカルマをあなたに与えているのだと思っています。
でも断定はできません。
そんなものない、と思う人は、そうやって生きてみればいいと思います。
ところで、私は大学時代に教職課程の一環として、知的障碍者の学校に体験に行ったことがあるのですが、彼らは知能こそ足りないものの、性格的にはみなとても純粋で優しいので、とても楽しかった記憶があります。
また、知的障碍者の子の中にはとても数学が得意で、いつもテストで満点を取る子がいるそうです。(私の師匠の家の近くにそういう子が住んでいて、そういう子が本当にいるんだなあと感心した記憶があります。)
つまり、私が予想するに、知的障碍者というのは、輪廻転生する際にとても高度な魂を持って生まれてくるかもしれない、ということです。
自らの修行のために、あえてそういう人生を選んで生まれてくるのです。
だから、たまに数学が得意だったりする子がいるのだと思います。(前世で行った努力は、今世に才能として引き継がれるため)
さて、カルマについて、「そんなものはない」と思っている人たちへ。
宗教観の違いというのは、必然なのかもしれません。
ただ、唯物論者は、唯物論も宗教だという自覚を持った方がいいと思います。
人はみな、自分の人生にとって必要な宗教が違うと思います。(その上、その時々の状況下によっても必要な宗教が違ったりする)
例えば、誰かがキリスト教を見て、直観が「なんとなく居心地が良い。しっくり来る」などと思っているのであれば、今のその人にはキリスト教が合っているのでしょう。
吉野圭さんは私も尊敬していますが、私と意見が違うのはそういうところだと思います。もし吉野さんの言う通り、キリスト教が悪徳宗教で、神の言葉を権力者に都合のいい形でねじ曲げられたものだとしても、私はどんな宗教でも断片的には「本当のこと」を述べられているのではないかと思っています。