モーゼス霊訓によると、人の信仰の形式はどうでもいいらしい。

ただ、霊媒のモーゼス自身が牧師なので、高次霊はキリスト教に沿った形で霊訓を伝えている。

 

「しかし乍(なが)ら、キリストがまことの道の為めに自己の生命を棄て、家族を棄て、地上の快楽を棄てて顧みなかった、克己的犠牲行為は、どれ丈人の子を罪より救い、どれ丈人の子を、一歩神に近づかしめたか知れない。その意味に於(おい)て彼を一の贖罪者と言おうとするなら、われ等も欣(よろこ)んでこれに左袒(さたん)する....。」

 

ただし、経典には常に不純物が含まれるため、一字一句の末節に拘泥することは間違いのもとである、という。

そもそも、必要な啓示というのはその時代によって違う。

神に与えられた啓示は全体を見なければならない。

 

さて、天国とは何か?

それは少なくとも、善行を積むことで成す死後の状況だ。

「永遠の進歩、永遠の向上、これが死後の世界の実相である。」

「善行は魂の進歩を助け悪行は魂の発達を阻止する。幸福は常に進歩の中に見出され、進歩につれて神に近づき、完全に近づいて行く。」

「魂には純情と進歩と愛との伴える、浄き、美しき生活が続く。それがまことの天国なのである。」