室田さんの記事で言いたいこと。
「苦労は買ってでもしろ」という人は、自分のプライドを捨てて人から学ぶことや、誰も味方がいない中でそれでも善人でい続ける理由を探究することや、誰もオカルトを信じない中でオカルトの状況証拠集めをするというような、簡単に言えば崇高な信念を持つような、そういう苦労をしないよね。
マジでブーメラン乙だよ。
苦労で精神力が鍛えられれば、仕事や勉強が楽に思えるというが、それ自体は正しいのかもしれない。
でも、私からすれば「そのレベルの精神性で言うなよ」って思う。
私の記事には一つもいいねを押さない、コメント欄で議論もしない、それはなぜ?
京大卒というプライドのせいでしょ?
どうでもいいよ、そんなの。
さっさとそんなプライド捨てろよ。
なぜ?
平均台の上から降りたら、そこは大地なんだよ?
だって、本当に大地だもんね。
あなたのその可能性を、自身の性格のせいで摘んでしまっている。
ちなみに、直感に従って動いたり、自然な流れで起きた苦労は、自然に乗り越えられる。
自然な流れによって、いつの間にか精神耐性が付く。
でもそれは、全員がそうなるべきではない気がする。
大事なのは直感だ。
あとは、他人と比べるという、自分の中の他人への恐れと向き合うこと。
私は直感を無視したせいで、小さなことから人生単位のことまで、酷い目に遭った。
昔の私は唯物論者で、恋愛などの欲しい物や人に対しては、他人を傷つけてでもイケイケドンドンだった。
(なぜ他人を傷つけたかって?私を傷つけても何とも思わない連中の中にいたからだよ。)
その結果、本当に欲しいものや欲しい人は手に入らず、身も心もボロボロになった。
今から思えば、唯物論なんか糞食らえだ。
「あの時、直感に従っておけば良かった」と思える経験則が沢山ある。
(そもそも唯物論は理論的に間違っているしね。)
もちろん、室田さんの良い所は、私と同じでオカルトの状況証拠を集めた所。
そこは評価している。
でも、足りない足りない。
まだ探究の余地はあるから。