「ラ・プラタの博物学者」22章を読んで。

「ラ・プラタの博物学者」の著者ハドソンは、その本の第22章にてこう提示した。

それは、哺乳類が弱った仲間へ残虐行為をする、つまり、牛や犬などが持つ弱い者いじめの精神性とは、相手を敵と間違えた「脳のバグ」であると。

牛が赤い布に興奮するのは有名な話だが、それは牛が血を見た時にも同様に興奮することから、恐れのあまり「敵と見間違えている」とのこと。

なぜなら、哺乳類の弱い者いじめは、種の保存に関しては全くもって有害な行為でしかないからだそうだ。

 

ただ、面白いのは鳥類であり、脚の悪い鳥や弱った鳥には必ずと言っていいほど、(家族ではない)他の鳥が何羽か寄り添って餌を与えているとのこと。

 

このことから察するに、人間の場合は、溜め込んだ怒りが本来の相手に向けて発散されなかったという「恨みの蓄積」が変質し、脳にバグが生じて弱い者いじめの精神性に変わるのかもしれない。

つまり、精神的な病であると。

ただ、自然には病が伝染しないようにと有害な病者を隔離するか殺してしまおうとする動きもあって、これが我々にある「勧善懲悪の精神」なのではないかとも思った。

 

ああでも、私の考えがもし正しいのだとしたら、SMの性的興奮も説明出来そうだ。

Sの性癖を持つ人というのは、素のままの自分を受け入れてくれる異性がいないことに絶望してしまい、脳のバグが発生し、代わりに異性を痛ぶることによって相手に可愛らしさを見出し、愛が芽生えるというように。

 

なお、この本には書かれていなかったが、植物の世界では、夏には落葉樹が針葉樹に根から養分を分け与え、同じようにして冬には針葉樹が落葉樹に根から養分を分け与える習性がある。

「ラ・プラタ」を読んでいると、自然摂理というものは、少なくとも同種の間柄においては意外と平和主義なのかもしれないなと思った。