レヴィナス「全体性と無限」序文のメモ。

 

「戦争は道徳を宙吊りにする」という名言から始まって、戦争は全体性の中に取り込まれているということ、その全体性に対抗するには個人の客観的臆見・真理などを意味する「無限」が必要とのこと。

つまり、戦争反対をやるには客観的思考が必要になるという。

とにかく、ナチス下のユダヤ人が、全体主義に抗った作品。

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↑場所は横浜の喫茶エレーナにて、栗プリンとコーヒー。

 

(スマホのメモ)

 

終末論は、全体性を超えた存在と関係づけるのであって、過去と現在を超えた存在と関係づけるのではない。

 

無限の概念は、全体性には包含されないが、全体性と同じく本源的な超越である。

無限の観念においては、つねに思考の外部にあり続けるものが思考される。

無限の観念は、あらゆる臆見と客観的真理の条件。

無限の観念とは、自分自身で発見するものと臆見から受けとるものとの区別に委ねられる以前の精神。

無限は思考から溢れ出るもので、無限との関係は、客観的経験とは別の言葉で語らなければならない。

無限の観念は、活動性、観想的思考、知、批判の、共通の源泉(基礎)である。

 

倫理(エテイク)とは一つの光学(オプテイク)(物の見方)なのだ。

 

戦争の客観主義↔︎終末論的視覚に由来する主体性

無限の観念は、歴史の裁きから主体性を解放する。

戦争の苛酷な法が砕け散るのは、無限に(客観性よりも客観的な無限に)衝突することによってであり、存在から切断された無力な主観主義に衝突することによってではないのである。

追記:

SAM前世療法代の2万円は、ジーンズ代に使えとの意見が、易占いを通して分かった。

今回は見送ることとする。

すごく不安でしょうがないのだが。

 

 

以下は、SAM前世療法士のShivaさんに送るかどうか迷っているコメント。

もう少し、文字を削除して減らした方が良いかもしれない。

それに、もっと自分のことについて霊に訊こうかと思ったりもする。

 

 

(本文)

 

(以下は長文になってしまったので、もしもお仕事が忙しく読む時間が無いのならば、会った時にまた話しましょう。)

 

以前、療法をやって頂いてからちょうど2週間が経ちました。

今日で厄日が二日続いたので、もう一度診て貰いたくお願いしました。

以前、聖なるバリアを張って頂きましたが、その場合、私が誰かを激しく恨むとその瞬間からすぐにそれが返ってくるようです。

自分の生き霊は、自分が全て回収するようになったのかもしれません。

それに気づいて恨むのをやめても、厄日はなかなか終わってくれませんでした。

ただ、神社にお参りに行くなどして、徐々に厄災は少なくなってゆき、今日の晩からは平気です。

その代わり、もしかしたら他人の生き霊や未浄化霊は全て跳ね返しているのかもしれませんが。

上記の原因ですが、私の中にはたぶん、未浄化のインナーチャイルドがまだいるのかと思います。

それか、もしかしたら、自分の持った恨みのせいでバリアが破られ、変なものが入ってきたのかもしれないとも考えています。

 

ついでですが、守護霊様に訊きたいことがいくつかあります。

 

例えば、この間の質問も指で答えてくれたのですが、あれはもしかしたら私の潜在意識にある「私の願望」だったのかと疑ってしまうのです。

霊肉二元論は分かります。(稲垣さん曰く、霊心肉三元論らしいですが。)

しかし、それでもついそのようなことを考えてしまい、信仰心が揺らぐ時があるのです。

守護霊様には出来れば私の口頭で、ご本人の言葉で答えて頂きたいのです。

もちろん、何らかの原因でそれが不可能ならば、指判断で満足しようと思ってます。

 

それと、ここに書くのもぞっとするのですが、悪人への対処法はどうすれば良いのか知りたいのです。

YouTubeで出刃包丁シリーズというのがあって、金魚を捌いて飼い主に食べさせるというドッキリをやっているのがあり、私は動画の最初で見るのをやめました。

(ちなみに私は、金魚を自分の子どものように愛情をかけて育てた経験があり、その経験は、今でも続く心の支えを形成してくれました。)

その人を合法的に殺せと言われたら、私には殺せると思います。

しかし、その動画をやっているサイコパスの人の顔つきや喋り方を見ていると、まともな批判コメントを書く気力が失われました。

なぜなら、「この人の心に、オアシスがない」というのが透けて見えるからです。

普通の人だったら誰でも持っているオアシス的なものが、その人には全く見当たらないのです。

ある意味、「他人のエネルギーを奪うことだけが、その人にとっては一定時間だけオアシスもどきになっている」といった感じです。

どのような育ち方や、唯物信仰、前世での経験をしたらそうなるのかは知りませんが、明らかにその人の持つであろう他者への恨みの心が歪な形に変質しています。

もしかすると、何らかの原因によって、その人の脳の造りが科学的にそもそも私ら普通人とは違うのかもしれません。

いずれにせよ、言葉が通じない別の生き物を見ているのと同じく、文字通り"救いようがない"のが分かってしまうのです。

 

私は以前、夢で地獄っぽい所を見たことがあります。

天国っぽい所も見たことがあります。

(参考、私のブログ記事より↓)

http://le-chat-noir-1207.hatenablog.com/entry/2020/04/24/052430

天国(一つ上の階層の世)と地獄(一つ下の階層の世)が本当に存在していてくれると、非常に助かります。

学びを終えた良い魂は天国に行き、更生しようのない悪い魂は学びのために地獄へ送って欲しいのです。

そうでなければ、天国と地獄はこの世に内包されていることになってしまいます。

指の判断では、天国も地獄もあるとのことでした。

その信条を確固たるものにしたいので、是非とも高次霊の方たちに訊いてみたいのです。

まあ、同じことを何度も訊いたら、守護霊様から「くどい」と一括される可能性もありますが。

 

以上です。

長々とすみません。

宜しくお願いします。

厄日から、運が戻った。

他人と比べる心が起きないようにじっと心を見つめていると、子どもの頃の感覚を思い出し、落ち葉などの植物の葉が美しく見え、心がポワポワしてきて、「これだったら私の人生は成功できるわ」という安定の心となり、幸せになった。

一瞬だったが。


それと、イライラしないコツは、自分を認めてあげること。

「この人が自分よりも上か下か」、

「この人が自分よりも力関係が上なのが気に入らない」、

そう思っていると、本当に不幸になります。

厄日でボロボロになった私を見てみろ。

このことに気づいてからも、その日一日は厄が続き、近くの神社でお祈りをした。


あなたには、敢えて言おう。

あなたは他人と力関係を比べて、値踏みしていていい。

その代わり、慢性的に不幸になってろ。

(もしかしたら、空亡の年に全部ツケを支払うのかもしれないが。)

こういうのは痛い目を見ないと、自分でも気づかない。

私が何言ったって、そういう馬鹿は馬鹿のままだから。

あなたはその代わり、どんなに頑張っても私から運を奪うことは出来ない。

私はその代わり、誰かを呪うことは出来ず、それらは全て神に任せて生きることとなった。

私はエネルギーの奪い合いのサイクルから脱したのだ。

SAM前世療法を行ってから、ちょうど2週間が経った。

生き霊に憑依されないよう、バリアを張ってもらったが、その効果が遅効性で効いてきたと思う。

この場合、私自身が誰かに飛ばしていた生き霊も回収されるし、私自身に返ってくることが分かった。

例えば、私が誰かを恨むと、その瞬間から今日一日が厄日になり、そのことに気づいて恨むのをやめても、その日一日はしばらくは危なかった。

その代わり、誰かが私に対して飛ばされた生き霊は、全て本人の元に返っていく。

(Facebook投稿記事)


マルタ・アルゲリッチ、今まで嫌いだったのに、急激に好きになった。

彼女のラヴェル「水の戯れ」を改めてちゃんと聴いたが、本当に噴水の水が戯れているような情景をよく表現していると思う。

それを聴き、私の心に聖域があったことを発見したかのような喜びを感じた。

彼女は、本物だ。


ラヴェルは、本人による自作自演がYouTubeに載っているが、ラヴェル自身の演奏だと表現が発展途上だと思う。

つまり、あれは本当の意味で「楽譜通りに弾いてはダメ」で、そこに演奏者の表現技術を加味することで素材そのものの味を引き出すことが大事なのだと思う。


けだし巨匠の演奏というのは、全体像をよく掴んでコントロールしている。

しかし、それだけではなく、細部にも心の内面の哲学を宿らせている。

例えば、「わざと粒を揃わせずにバラけさせている」と言われるが、それは確かにそうなのだが、その言い方が誤解を招きかねない。

単にバラけさせているのではなく、”一音単位”で音量などの要素をコントロールしているのだと思う。

なぜなら、一音単位の強弱やリズム感が絶妙であり、それによって芸術作品としてしっかりと全体像が完成されているから、これが巨匠の内面に持つ哲学なのだろうと思う。


ただ、アルゲリッチの演奏は独特過ぎるので、曲との相性がある。

作曲家との相性というよりかは、その一曲一曲との相性だ。

もし世界中でピアニストがアルゲリッチしかいなかったら流石に嫌になるし、奇抜さのない王道の演奏にも素晴らしさがあるのは自明のこと。

あの独特の演奏は、別の曲になってしまっている感じも否めないから。


https://m.youtube.com/watch?v=YxCN4AXgG30

(Facebook投稿記事)



数学ガールの秘密ノート 丸い三角関数」読了。

(ただし、最後の研究問題は除く。)


図書館にて借りましたが、かなり分かりやすい数学の入門書でした。

とりあえず、門はくぐったなと。

この本は、主に三角関数と円についての雑多な基礎知識・応用知識の内容となっています。


例えば、なぜ円周率は3.1415...なのかを、アルキメデスの正96角形で近似値を求めたりします。

結果的に、円の中に接する96角形は周りの長さが3.1410...となり、円の外に接する96角形の周りの長さは3.1427...となり、πはその間の数だということが求められるのですね。


また、以前私は「なぜcos2θ=cos2乗θ-sin2乗θなのだろう。なぜcosの時だけマイナスなんだろう」と考えたことがありました。

それはなぜかというと、グラフ上で原点から発するある点のベクトルを考えた時に、そのベクトルを対角線とした長方形を作って、ベクトルの足し算をするのです。

それが、x軸(cos)上での長方形の左側が、マイナス側に振れるため、そういうことが起きるのです。

結局、この複雑な三角関数の式は、蓋を開ければベクトルと行列の掛け算によって出来ているのですね。


・・・などと、言葉で書くのは難しいですね。

でも、この本、練習問題以外は全く難しくありません。

誰かが評している通り、天才的に分かりやすい数学書でした。

著者の結城浩さんは本当に数学が好きなのですね。

ただ、残念なのは、私の歳だと1回読んだくらいでは忘れてしまうんですよね。


なお、最後の研究問題は2つだけやりました。

例えば、研究問題1-X1は「以下の値を全て求めてみましょう。」というもの。

(a) cos2乗0°+ sin2乗0°

(b) cos2乗30°+ sin2乗30°

(c) cos2乗45°+ sin2乗45°

(d) cos2乗60°+ sin2乗60°

(e) cos2乗90°+ sin2乗90°

これ、全部答えは「1」なんですよね。

そして、 「cos2乗θ+ sin2乗θ=1」が成り立ちます。

cos2乗0°=1というのは忘れていましたが、円が回転する前のスタンバっている状態を考えれば1÷1=1ですね。

逆に、円の天頂にある状態という意味で、sin2乗90°=1にもなります。


https://www.amazon.co.jp/数学ガールの秘密ノート-丸い三角関数-結城-浩/dp/479737568X?fbclid=IwAR08yGFzp3pdOZhFKMqn5QIcQi5rQMFhmXBeVwz9LWEo3dCl8f7lqTUfb4U