レヴィナス「全体性と無限」序文のメモ。

 

「戦争は道徳を宙吊りにする」という名言から始まって、戦争は全体性の中に取り込まれているということ、その全体性に対抗するには個人の客観的臆見・真理などを意味する「無限」が必要とのこと。

つまり、戦争反対をやるには客観的思考が必要になるという。

とにかく、ナチス下のユダヤ人が、全体主義に抗った作品。

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↑場所は横浜の喫茶エレーナにて、栗プリンとコーヒー。

 

(スマホのメモ)

 

終末論は、全体性を超えた存在と関係づけるのであって、過去と現在を超えた存在と関係づけるのではない。

 

無限の概念は、全体性には包含されないが、全体性と同じく本源的な超越である。

無限の観念においては、つねに思考の外部にあり続けるものが思考される。

無限の観念は、あらゆる臆見と客観的真理の条件。

無限の観念とは、自分自身で発見するものと臆見から受けとるものとの区別に委ねられる以前の精神。

無限は思考から溢れ出るもので、無限との関係は、客観的経験とは別の言葉で語らなければならない。

無限の観念は、活動性、観想的思考、知、批判の、共通の源泉(基礎)である。

 

倫理(エテイク)とは一つの光学(オプテイク)(物の見方)なのだ。

 

戦争の客観主義↔︎終末論的視覚に由来する主体性

無限の観念は、歴史の裁きから主体性を解放する。

戦争の苛酷な法が砕け散るのは、無限に(客観性よりも客観的な無限に)衝突することによってであり、存在から切断された無力な主観主義に衝突することによってではないのである。