(Facebook投稿記事)
マルタ・アルゲリッチ、今まで嫌いだったのに、急激に好きになった。
彼女のラヴェル「水の戯れ」を改めてちゃんと聴いたが、本当に噴水の水が戯れているような情景をよく表現していると思う。
それを聴き、私の心に聖域があったことを発見したかのような喜びを感じた。
彼女は、本物だ。
ラヴェルは、本人による自作自演がYouTubeに載っているが、ラヴェル自身の演奏だと表現が発展途上だと思う。
つまり、あれは本当の意味で「楽譜通りに弾いてはダメ」で、そこに演奏者の表現技術を加味することで素材そのものの味を引き出すことが大事なのだと思う。
けだし巨匠の演奏というのは、全体像をよく掴んでコントロールしている。
しかし、それだけではなく、細部にも心の内面の哲学を宿らせている。
例えば、「わざと粒を揃わせずにバラけさせている」と言われるが、それは確かにそうなのだが、その言い方が誤解を招きかねない。
単にバラけさせているのではなく、”一音単位”で音量などの要素をコントロールしているのだと思う。
なぜなら、一音単位の強弱やリズム感が絶妙であり、それによって芸術作品としてしっかりと全体像が完成されているから、これが巨匠の内面に持つ哲学なのだろうと思う。
ただ、アルゲリッチの演奏は独特過ぎるので、曲との相性がある。
作曲家との相性というよりかは、その一曲一曲との相性だ。
もし世界中でピアニストがアルゲリッチしかいなかったら流石に嫌になるし、奇抜さのない王道の演奏にも素晴らしさがあるのは自明のこと。
あの独特の演奏は、別の曲になってしまっている感じも否めないから。