マルセル・デュシャン「泉」について思うこと。

マルセル・デュシャン「泉」について思うこと。

 

まず、レディ・メイドに対する気持ちは、

「これって、歴史を変えただけじゃん。美術的にどうかと言われると微妙。だが、歴史を変えた流れに関する感動みたいなものはあるかもな」

という程度。

それは今でも心のどこかではそう思っている。

なぜなら、どこからどう見てもそれが既製品であることを隠せていないからだ。

ところが、それとは別に私はこうも思っている。

「『これが泉という名のシュルレアリスム作品です。』と言われると、心のどこかで『確かに。』と言いたくなる」

という感じ。

確かに、これはただの工業製品ではなく、何らかの芸術性がある物体に見えなくもない。

「R.MUTT 1917」という架空の名前によるサインも、これが一点あるだけで作品としての矜持(きょうじ)が一気に引き立つ。

明らかに、デュシャンはその本質を分かっている。

このトイレを開発した人のセンスの方がすごいはずなのに、日常生活上でのデュシャンの目のつけ所や、それを「飾りすぎなかった」サインを褒めてしまう。