知り合いの娘さんがヴァイオリニストだが、彼女の演奏に耳を澄ませていると、どこか世の中に対する怒りのようなものが聴こえてくる。
まるで、運慶の制多伽童子像が本質部分に隠れているかのよう。
負の遺産のようだ。
でも、彼女はそれで幸せなのだろうか。
幸せならそれはそれで、もっと繊細に、音が舞い上がるような演奏を創れると思う。
いずれにせよ、多感な人だから世の中の悪い部分も見つめてしまうのだろうな、とか妄想してしまうような迫力ある演奏だった。
もしかしたら、阿部薫のフリージャズなんかを聴かせたら、共感できる人なのかもしれない。
ロマ音楽のタラフ・ドゥ・ハイドゥークスにも共通する部分があると思う。
もちろん彼女は、阿部薫やロマ音楽奏者なんかよりも、もっと繊細に研ぎ澄まされた感じに昇華しているけれども。
さすがにそこは女性だ。
でも、似たものを感じる。
やはり、負の遺産的な部分(もしくは作曲者に共感している負の感情の部分)は、何割かが占めている気がする。
私はこういう演奏ばかりに目が行く。
私の傷のある魂が、負の癒しを欲しているのだと感じる。
もし少女コゼットがこの演奏を聴いたら・・・