Facebookに投稿しようと思ったが、やめておいた記事↓

 

詩やエッセイがこのように難解になってしまったのは、審美的な理由で必然だったと思う、というのを前提に・・・
そもそも私はキニャールの本が好きだから、こんな難解な文章も(一応)読めるようになったのであって・・・
もしも誰かが私に対抗して頭の良さを競うつもりなら、そんな無意味なことに私は参戦しませんよと、念のため釘を刺しておきます。
それよりも、周りの人たちには「犀の角のようにただ独り歩め」という仏陀の言葉を送りたいところです。

パスカルキニャールなんて読めても何の一般教養にもならないし、せいぜい傍から見た人間からは頭の体操ぐらいにしか映らないでしょう。
ただ、私はこの著者が何を言っているのか、理解したいだけ。
理解したいというその気持ちの方が純粋に勝っているから、分からない段落は5回も10回も読んで、分かったら次に進む、という形を取っている、という。
私は決して、頭が良いわけではありません。
その気持ちがあるから、そういう行動を取っているだけなのです。
けだし、その気持ちがなかったら、別のことをしているでしょう。