このブログ、マジで誰が読んでいるか分からないからな。
私のFacebook友達が万が一見つけてしまった場合。
「私の友達の高学歴の人たちの、半分は大したことない」と書きましたが、あれに該当するのは友達でない人の方が多いですね。(どっちかというと、敵。)
ほんと、社会人ぐらいの歳で、中学生並みの知能と精神しか持たない奴とか、本当にいますよ。
そんなのが明治大や理科大出ているんだから、そういう大学って結局は一部のデキる人たち・まともな人たちが引っ張っているだけであって、蓋を開ければ実際は大したことないなと思ってしまいました。
ほんと、ヤンキーぶってガン飛ばして凄んでくる人とか、5人はいましたね。
社会人から見たら、知的障害者みたいな感じに扱われるというのに。
(↑私一人がそう言っているんじゃないですよ?世間のスタンダードがそう思っているから、そう言ったまでです。)
さて、それとは別に。
じゃあ、なぜ友達なのに「大したことない」と思う人がいるかというと、私のFacebook記事へ言及がないからです。
音楽で生きていきたい高学歴の人たちへ。
音楽が好きならば、というか、音楽で生きていきたいならば、パスカル・キニャールの本は読んだ方がいいですよ。
もう廃版なので、売り切れる前に購入すれば良いかと。
別にそんなの読まなくても成功できるかもしれませんが、キニャールはオルガン演奏も出来る作家ですから、音楽への造詣が深いのです。
ただ、読んだからといって、必ずしも「孤独を愛する」必要はありません。
それにしても、こんな濃い本を廃版にするとは。
いかに、見る目のない人が日本に多いかが分かりますね。
ちなみに私は、キニャールの「音楽の憎しみ」という本を女のお弟子さんに貸したまま、返してもらってないです。
彼女はこの難解な本を、時間のある時にじっくり丁寧に読むと言っています。
彼女は、どっちかと言うと叩き上げの人です。
彼女は一応、アメリカの大学を出ており、アメリカとスウェーデンでの勤務経験がありますが、偏差値的に言ったら高学歴ではありません。
彼女は頭の回転は速いが、私が読める難解な詩やエッセイを読むのに苦労しているようです。
でも、読みおわるまで貸しておいて欲しいと言うのだから、是非読んで欲しいなと思うばかりです。
(私は逆に、スウェーデン語どころか英語もまともに話せません。なので、彼女とはお互い知らないことを情報交換していて、お互い何でも教え合う仲です。)
なので、高学歴の人たちはキニャールを必ず読めとまでは言いませんが、芸術家として食っていきたいのなら、キニャールについて書いた私のFacebook記事にせめて言及ぐらいはして欲しいのです。
どう思うのか、感想・疑問・批判があれば、こちらも勉強になります。
それでも何の言及もしない人たちは、そういう意味ではやっぱり大したことないなと思われても仕方がないです。
(もしかして、私の友達同士で過去に確執があったから、私の友達Aがいいねをくれているのを見て、友達Bが避けている、とか?)
まあでも、大したことなくても、別に悪いわけではないのですが。
あの人たちが成功することに協力したいだけです。
じゃあ逆に、誰かにキニャールを読まれて、私よりも理解の深い記事を投稿されたとしたら?
いいじゃないですか!
それで私のアイデンティティが崩れるぐらいなら、私自身がその程度のつまらない価値観に重きを置いていたという、それだけのこと。
そんなことはありませんよ。
逆に私は質問できる立場になれるのだから、そうなった場合は是非とも一緒に考察しましょうよ、友よ。
とまあ…書いてみたが、結局独り言なんだよな。